たくさんチョコを用意した小学生時代。CMで見たおもちゃが欲しくて

小学校の3年間か4年間くらい、バレンタインは大きな大きなイベントだった。
母に手伝ってもらいながら、学校のお友達、お稽古先3つのそれぞれのお友達、弟と兄弟ぐるみのお付き合いのある人、いとこ親戚など200人分くらいのチョコを作る。
小学生のバレンタインなんて湯煎して可愛い型に流し入れるだけ簡単なものだったけれど、にしてもすごい頑張りだったなと今になって思う。
母もわたしも特におかし作りが趣味なわけではなかった。だからそんなあっという間の年数しか続かなかったのだろう。

ある年のバレンタイン少し前、わたしはテレビCMで見た「とろりんチョコポット」というおもちゃを欲しがった。

その時はよくわかっていなかったこの商品。まだあるのかなと懐かしくなって調べてみると中古ショップにしかなさそうだった。製造中止してしまったのかもしれない。
種類がいくつかあるのか可愛い箱の写真が何個かヒットした。わたしが持っていたのはどれなんだろう。わからない。
ジャンルとしては知育玩具となっていて、乾電池を使ってチョコレートを溶かしてくれるだけの、でもとても可愛いものだった。忘れたけど。

成人したわたしにとってはイマイチ魅力のわからないものなので親御さんたちがあまり買わなかったのかもしれない。
買ってもらえたわたしはラッキーだった。

万能機械が動かなくなってしまって泣いたけど

買ってもらったラッキー少女、当時のわたしはうきうきうきうきしながらその年のバレンタインチョコ作りの日を待つ。
母がいつも、今年はバレンタイン、この日に作ろうか、と約束してくれた。
その年はいつもよりずっと美味しいチョコレートを作れるような気がしていた。
もしかしたらポットと一緒に可愛い整形用の型も付いていたかもしれない。忘れたけど。

当時のわたしにとっての万能機械。これはチョコレートを作る途中で動かなくなってしまう。電池切れ。商品開発の人も200個分の板チョコを溶かすべく何時間も稼働させられるとは思っていなかったか。
わたしはものすごいショックを受けたことを覚えている。
電池を変えればいいと思いつく余裕がなかったくらいに。

母が、あー切れちゃったね、みたいなことを言って、家に替えの乾電池がなかったか、湯煎で溶かしたほうが合理的だと思ったか、それはわからないのだけれど、とにかく「とろりんチョコポット」をおしまいにして作業を続けようと言ってきた。

泣いたような覚えがある。
万能機械が動かなくなってしまったことにか、せっかく買ってもらえたものをこれっきりだなんてと思ったか。クビにされた「とろりんチョコポット」を可哀想に思ったか。
でもチョコレート作りを始めてから随分と時間が経っていたことに気が付いて、びっくりしたのはよく覚えている。
そして言われた通りに始めてみると、これが「とろりんチョコポット」を使っていた時よりもずっとよくチョコレートが溶けたのでまたびっくりした。
思い出しつつ書いてみて当時のバレンタインってなんだったんだろうな、と思う。

今となっては馬鹿らしいけど、楽しくてたまらなかったな

みんな板チョコを溶かして固めただけの手作りを交換していたのも意味がないようでなんだか可愛い。
生チョコとかフォンダンショコラとか、本命にはホールケーキ!なんてバレンタインは高校生くらいからだったし。
可愛さ特別さに思いっきり魅せられていた、不便で時間のかかったチョコ作りもなんだったんだろうなと思ってしまう。そういった製品がCMになってものすごく売れたことも、子供のバレンタインの無邪気さとパーティー気分による魔法の威力を思い知る。

大体個数を作ればいいバレンタインってなんなのか。チョコ渡すほど好きでない人やそもそも面識がないにほど近い人にも配り歩いていたような気がする。今となっては馬鹿らしいし恥ずかしいのに当時は楽しくてたまらなくて、周りのおんなのこもみんなそんな感じで2月を過ごしていた。

バレンタインへのJSの気合いの入りようはホワイトデーにはほぼ確実に返ってこない。
小学生のおとこのこなんてそんなもんだろう。お母さんかお姉ちゃんが用意してくれたらいい方で、スーパーで買ってくれたちょっと可愛いお菓子か、何も返ってこないか。おんなのこ同士のお祭りだ。

楽しかったからよかったけど、もし自分に年の離れた妹や、娘がいたとしたら、そんなことやめたら?と冷めた顔をしていってしまいそうだなと思う。
夢のない女になってしまったかもしれないと少しひやりとする。
うちの「とろりんチョコポット」で一緒に作ってあげたら最高の姉か母になれるだろうけど、どこかに行ってしまった。そのほかの年で使った覚えもない。
わたしの思い出の中にしか残っていない、「とろりんチョコポット」。
楽しかったなあ。