16年前の2月14日。当時12歳の私は泣いていた。
ランドセルを背負って、泣きながら帰り道をひとりとぼとぼ歩いていた。
何かが変わった12歳の私。好きになったのはたれ目の「パンダくん」
今思い返すと、12歳の私はなかなかにこれまでの私と違っていた気がする。
もともと目立ちたがり屋じゃなかったのに運動会の応援団長をしたり、学級委員を務めたり。もしかしたらもう一人の私が、その1年間は乗り移って生活していたのかもしれない。
だから、私はあの子を好きになってしまったのかもしれない。
小学生になってから5年生までは毎年バレンタインになると、仲良しの男の子に母と一緒にお店で選んだチョコを渡していた。1年生から4年生までは仲良しだったTくんに、5年生では私のことを好きだと言ってくれたSくんに。今思うとませた子供だったなぁ。
私は6年生のクラス替えで、ある男の子と同じクラスになった。
足が速くて、サラサラなこげ茶色の髪とたれ目が特徴的……。そんなクラスのリーダー存在だったその子は、その特徴的なたれ目から『パンダくん』と呼ばれていた。
クラスの女子も男子も構わずいじったり、先生に反抗的な態度をとったりする彼だけど、風を切るような俊足や、笑えば余計に下がるたれ目が女子達のハートを鷲掴みにし、学年中の女子が1度は好きになったことがあるといっても過言じゃなかった。
しかし私は、彼の周囲をいじるところが苦手だったから、彼のことなんて好きじゃなかった。むしろ苦手な存在だった。それなのに。
その年の夏。席替えで私はパンダくんの隣になった。
女子達にいいな、と言われても複雑だったけれど、授業や給食で話す機会が多くなり彼と少しずつ話すようになった。そして、隣の席になって分かったことが3つあった。
1つ目は忘れ物が多いということ。忘れ物が多い彼に教科書を見せたり、よく消しゴムを貸したりしていた。
「へへ、いつもさんきゅーな」と、眉とたれ目がふにゃりと下がった彼の笑顔がかわいいことが2つ目。
そして3つ目は友達と喧嘩して落ち込んでいた私に、
「なぁ聞いて、今日俺んちの布団がふっとんだんだけど……って笑えよー!」
と、小学生らしく寒すぎる(笑)ダジャレで慰めてくれる、意外と優しいところもあるということ。
表面しか見ていなかった彼の中身に少しずつ触れて、気付いた頃には私もその他大勢の女子のように彼のことが好きになっていた。
男子たちに散々からかわれて…。泣いて帰ったバレンタイン
そして、バレンタインが近づく2月。クラスは誰にチョコをあげるかの話題でもちきりだった。
こそっと、友達から「もぴは誰かにあげるの?」と聞かれ、パンダくんの顔が浮かんだ。
「……パンダくんにあげようかな」と私がつぶやくと、「うん!作ろ!作ろ!」と友達はかわいく飛び跳ねた。
友達に背中を押された私はその日、材料とラッピングをスーパーに買いに行った。ピンクの装飾がやけにキラキラして、なんだか無性に恥ずかしくなった。
彼の好みなんて聞けなかったけど、トリュフを作ることにした。手作りチョコを誰かに作ったのは初めてだった。
もし好きと伝えたら、今まで通りには話せないだろうなぁと思いながらも、私のトリュフを作る手は止められなかった。
そしてバレンタイン当日。終礼を終えた教室がなんだか騒がしい。
「もぴがパンダのこと好きなんだってー!」
と男子が叫んだ。黒板には私とパンダくんの相合傘がでかでかと書かれていた。
小学生の恋バナは情報漏洩がとても早い。きっと友達の誰かが口を滑らせたのかもしれない。
「アイツに渡すチョコ、俺が渡しといてやるよー!」
私が大事に持ってきたチョコはいつの間にかクラスメイトの男子に取られていた。
返してよ!と何度言っても、男子から別の男子へとたらい回しのようにされるトリュフ達。
「お前はもぴのことどう思ってんのー?」
「ちょっと、男子サイテー!もぴがかわいそうだよー」
やめて、お願い、返して、泣きたい、どうしよう、どうしよう……。
「うるせーよ!チョコなんかいらねーよ!!」
周囲に散々からかわれ、パンダくんのいらないの一言で教室はしん、と静まり返った。
チョコも男子のせいでどっか行っちゃった。
頑張って作ったけど、いらないって言われちゃった。
感情がごちゃ混ぜになり涙が止まらず、そこからの記憶が曖昧だけど、多分私はそのまま家路についた。
翌日以降、彼との会話はほとんど皆無だった(昨日あれだけからかわれたのに登校し、普段通り過ごした私は本当に偉かったと思う!)。
これまで通り話しかけても無視されたり、教科書を忘れた時も私ではなく、もう一方の隣の席の男子にわざわざ見せてもらったりして、その度胸がぎゅうと押さえられた気分だった。
それから1か月後のホワイトデー。自宅に帰ると電話が鳴った。
母が「わざわざすみません」とか「はい、そこの近くです」とか話している。電話を切った母に尋ねると、パンダくんのお母さんからだった。お返しを今から持って行くので、近くで待っていてほしいとの連絡だった。
母と待ち合わせ場所で待ち続けた約20分後、パンダくんとお母さんがやってきた。
パンダくんが「これ」と言ってお菓子を手渡ししてくれたけど、それ以上は何も話さず、そのまま帰っていった。
チョコ、ちゃんとパンダくんに渡ってたんだ、よかった……。
外で長時間待っていたからか、彼と話せてほっとしたからかはよく分からないが、私は次の日、高熱を出して学校を欠席した。
中学生になってもパンダくんは私を避け、避け続けられる私もどんどん彼を好きな気持ちは薄れ、好きになる前の苦手な存在に戻ってしまった。
違う高校に進学したので中学卒業以降は彼と会う機会もなくなり、彼の記憶も薄れていた。
10年後にパンダくんに再会。「本当は嬉しかった」と
苦いバレンタインから約10年後、22歳の2月。
街で久々に会った地元の男友達に今度飲みに行こうと誘われた。私は友達を1人誘い、懐かしい気持ちで待ち合わせ場所に向かうと、その男友達の隣にはパンダくんの姿があった。
こげ茶色のサラサラストレートは明るい茶髪のくるくるパーマになっていて、ちょび髭を生やし、煙草を咥える姿はもはやパンダおじさんだった。
彼が来るなんて知らなかった私の顔は引きつり、私を見たパンダくんも少し気まずそうだった。少しだけ来てしまったのを後悔しながら私は3人と一緒に居酒屋に入った。
目の前にパンダくんがいる。どうしよう、何を話せばいいのか……。
気まずそうに目の前のおしぼりや箸置きを見つめていると、
「はは、10年前と全然変わんないなぁ」
と、パンダくんが笑った。笑った時のたれ目はあの頃のままだった。
彼が話しかけてくれたのをきっかけに、少しずつ近況や他愛ない話を始めた。
お酒も進み、話題が小学校時代の話になった時、パンダくんは言った。
「バレンタインの時は本当にごめん」
「うん、私の方こそ冷やかされるような状況になって、きっと困ったよね」
「あの時はあんな言い方しかできなかったけど、本当はすげー嬉しかったよ」
「そっか、よかった」
パンダくんは今でも時々集まる友達の1人だ。
たくさん傷ついて、たくさん泣いた苦い思い出が、10年後の彼の嬉しかった、の一言でほろ苦いくらいの思い出に変化した。
初めて作ったチョコ、渡そうとした勇気、全部ひっくるめて抱きしめたい。よく頑張ったよ、12歳の私。
苦くて、真っ黒だった思い出が少しずつ甘みを取り戻していく。
10年前、泣いていた私も少しは報われた気がした。