発達学においては、自ら選択できないのが子供で、自己決定できるのが大人なのだという。
そのことを知った時、私がぼんやり思い浮かべたのは、ずっと好きだったけど、一緒に生きることは選べなかった、4歳年上の先輩のことだった。

私と先輩が出会ったのは大学4年生の夏。
就活が運良く早々に決まった私は、大好きな海外旅行に行きまくるためと就職してから始まる1人暮らしのために、とにかくお金が欲しかった。
本屋でアルバイトしたかったという未練があった私は、チェーン店の古本屋のアルバイトの面接を受けた。
面接場所はその後使うことになる休憩室で、バイト先とは離れた建物にあった。
そこで店長と共に面接を担当したのが先輩だった。

本音をストレートにぶつけてくるタイプの先輩を、最初は大嫌いだった

最初は大嫌いだった。
「俺は反対したんだよ。だってどうせ辞めるじゃん」と言ったような自分の本音をストレートにぶつけてくるタイプだった。
クールで自分のことをあまり話さない。
仕事にはストイック。
他人にもそれを求め、衝突も恐れない。
誰より仕事が早く、誰より仕事のできる人だった。

印象がガラリと変わったのは、店長から話を聞いた時だった。
「彼は苦労人でさ、ああ見えて賑やかな5人兄弟なんだよ。シングルマザーのお母さんと一緒にまだ学生の妹や弟のために働いて、おばあちゃんの介護もしてるんだよ」
そんな身の上話をするどころか自分は弱音を吐いたりしないのに、「相談あったらいくらでも乗るから言えよ」と私には言うんだなと思った。
人前では厳しいけれど、二人になるとさりげなく「もう休憩だから仕事代わるよ」と言ってくれる人で、あとでみんなの前でお礼を言うと照れて嫌みを言うような人でもあった。

その頃の私は煙草を吸う人を軽蔑していた。
健康に悪いとわかっているのに、わざわざお金を出して自分の体を破壊するなんて愚かだと思っていた。
でも、先輩が休憩室のベランダでひとりで煙草を吸っている寂しげな後ろ姿を、いつの間にかずっと眺めるようになっていた。
先輩のエプロンから漂ってくる煙草の匂いを、嫌悪するどころか愛しく感じ出した頃、私は先輩が好きだと認めざるを得なくなった。

先輩と2人で帰ろうとした日、突然私に会いに来た彼

秋頃だったと思う。
先輩と2人であがる日があった。
「一緒にご飯とか行きたいけど、行けないよね。玲さん、彼氏いるから」
「行きたいです」
先輩は何も言わなかった。
「一緒に帰りましょう」
一緒に着替えて一緒に帰るつもりだった。
畳みかけたら先輩は何も言わず、小さく微笑んだ。
口数の少ない人だけれど、その分行動に感情が表れる人で、その頃には先輩は寧ろ私にとってとてもわかりやすい人だった。
そして私の先輩への想いも全部ぶつけていたから、伝わっていたように思う。
私も彼と同じで態度に出やすい女だった。

「玲」
今の旦那であり、当時付き合っていた彼氏が、休憩室へと向かって2人で歩いていた私と先輩の前に突然現れた。
律儀な彼とはいつも約束してデートしていた。
「ちょっと待ってて」
面食らった私はあわてて休憩室へ向かった。

「誰あれ?新しいバイトの子?」
「いや」
「彼氏でしょ?なんで紹介してくれなかった?俺のこともきちんと紹介して欲しかった」
「すみません」
なぜだか横顔が物凄く怒っていた。
「早く着替えて降りてあげな」
そのあと直行したラブホテルで彼に抱かれながら、私はずっと先輩のことを考えていた。
彼が私に突然会いに来たのも、先輩と2人だけであがれたのも、後にも先にもあの一回だけだった。

選ぶ責任も勇気もないくせに、あの頃の私は先輩をただ欲しがっていた

先輩が好きといいながら、先輩の苦労を共に背負う気なんてなかった。
選ぶ責任も勇気もないくせに、あの頃の私は先輩をただ欲しがっていた。
一緒にいられるのなら、就職なんてしたくないし、大人になんかなれなくていいと思っていた。
私は精神的に未熟で子供だった。
そのくせ身体は生意気に大人の女で、「一緒に働き続けられたら幸せ」なんて、謙虚なことは考えられなかった。
先輩に抱かれたかった。
いつもは寡黙なあの人の情熱が見てみたかった。
何も決定打を発しないその口に「愛してる」と言わせてみせたかった。

深紅かキラキラピンクか悩んでも、欲しいルージュはお金さえ積めば両方手に入る。
でも人生には選びたくないのに選ばなきゃいけない瞬間がたくさんある。
欲張りに生きたくても生きられない、何かを選んだ代償に何かを失う「選択」という行為。
そういった時、私には判断するための絶対的な物差しが今もまだない。

選んだ道だから、絶対幸せになるんだって覚悟だけはいつでも決めてる

恋に限らず、住む場所、働く環境、なりたい方向性、人間関係、大きな判断はいつだって迷う。
葛藤してもがいて揺れる。
でも大学生の頃よりほんの少しだけ年齢は大人になった現在の私が、子供でしかなかったあの頃の私に何か言うなら。
苦しんで悩んで大切なもう一つを犠牲にしてまで選んだ道だから、絶対幸せになるんだって覚悟だけはいつでも決めてる。
そして一度決めた自分の選択を後悔したことはない。

正解不正解はわからない。
振り返ることもあるし、これからだってきっと長い時間頭を抱え、唸りながら考えるだろう。
だからあんまり偉そうなことは言えないけれど。
そうやってまだまだ子供な私は、実年齢からはだいぶ遅れて一歩一歩大人へと近づいていくのだろう。