知育菓子が好きで、カブトムシや恐竜も好きで、お腹が減ると少し不機嫌になる。気を許した人にはワガママを言って駄々をこねたり、思い通りにならないことがあるとすぐに涙を流したりもする。

それでも私は「大人」だ。大人として働き、子どもたちに「先生」と呼ばれている。
教育関係の仕事をしているので、毎日様々な「親」と「子供」と接する機会がある。働いてみて思うのは、「親とて全員が常に大人でいられるわけではない」ということだ。

子供の頃は、子供である自分と「大人」は明確に別物で、生きていれば自然と大人の仲間入りができると思っていた。そして大人というものはいつも自立していて、判断力があり、しっかりしていると思っていた。

子供と大人は明確に別物だと思っていたけど、違うのかもしれない

違うのかもしれない、と初めて思ったのは、18歳の時だった。
小学生の頃から名探偵コナンが好きで、登場人物の江戸川コナンや灰原哀を「大人でかっこいいな」と思いながら漫画を読んでいた。「体は子供、頭脳は大人」というキャッチフレーズもあり、彼らが精神的には「大人」である人物として描かれていることは間違いない。そして、コナン君と灰原さんの実年齢は18歳として描かれている。
ところが自分が18歳になってみても、「大人になった」とはとても言えないという自覚があった。コナン君たちのように常に冷静ではいられないし、感情的になって間違えて後悔することもたくさんある。それは、20歳になって成人式を済ませても変わらなかった。

社会人になってたくさんの家庭と関わる中で、親世代や経験豊富な人たちでも「幼い」「大人げない」と感じることがしばしばある。
子供を差し置いて自分のプライドや感情を優先する人、子供と同じ視点でむきになって親子喧嘩を始める人……。時には、子供のほうが大人びていて、「うちの親がすみません」などと言われることもある。
大人でも親でも人間で、感情があふれることや判断力を失うことがあるのだと気づいた。
逆に、大人らしくない、と良い意味で思うこともある。無邪気さであったり、肩ひじを貼らずに子供と一緒に何でも楽しんでやろうという姿勢は素敵で、「私も将来こんな親になりたい」と思わせる。

「先生」として、時に目線を変えて「仲間」として大人の役割を変える

大人とは、立場であり役割のことだと思う。
私は未婚で親ではないが、社会人になってなんとか自分の機嫌や感情に関わらず責任を持って仕事用の顔を保ち職務を全うすることを覚えた。親も同じで、きっと子供に対してなるべく親としての顔を見せつづけて、しっかりと育て上げなければならないのだと思う。

生徒やその親と関わる中で、大人として話をしなければならない場面はたくさんある。
親を相手に学習情報や契約関係の説明をするときや、生徒にしっかりとアドバイスをするときは「先生」として信頼できる態度をとらなければならないし、理不尽な要望に対しても感情を出さず礼儀正しく対応しなければならない。

とくに生徒と話すときには、時々大人という立場を敢えて捨てることもある。相手が大人というだけで反抗的な気持ちを持つ子供がいる。そういうとき、25歳の私は思い切って子供に戻って同じ目線で生徒と話す。
彼らの親世代より少しは若いので、うまく関われると「仲間」として受け入れてもらえて素直に気持ちを伝えてもらえることも多い。

25歳、社会人。周りに自分より歳上のしっかりした大人がたくさんいて、彼らに比べて私はなんて子供なんだろうと感じることもある。一方で子供から見ると私は立派に大人に見える年齢で、もしかすると頼れる大人の一人かもしれない。
常に大人ではいられない私だからこそ、子供としての共感と、大人としての分別を使い分けて楽しみながら世を渡っていきたい。