子供の頃、大人が苦手だった。親戚の大人が可愛がるのは私よりうんと年下のいとこだったし、通知表にはだいたい「とても落ち着いていてしっかり者で……」と書かれていた。
ただ目立たないようにしていただけなのに、いつの間にか優等生のレッテルが貼られていた。子供ながらに、一方的に決めつけてくる大人が苦手だった。

いじめを受けて、学校を休みがちに。大人たちには相談しなかった

中学2年の終わり頃。男子からなんとなく悪意のある笑みを感じることが増えた。こちらを向いて、障害を持つ妹の名前を口にされたとき、「あ、嫌がらせを受けている」とはっきり自覚した。
3年生にあがった頃にはヒートアップし、ひとつひとつの言動を笑われ、自席は汚物のように扱われた。一時的なものだろうと、私は無視を決め込んだ。紙飛行機や消しゴムのカスが飛んできても、替え歌を作られても、すまし顔で過ごした。
友達が変わらず接してくれたのが不幸中の幸いだったが、いじめについて触れてくる人は誰一人いなかった。

しだいに、学校を休む日が増えた。母に「お腹が痛い」「気分が悪い」「朝ごはんを食べたけど戻してしまった」等と訴え、休みの連絡を入れてもらった。
はじめは母に叱られたが、そのうち「お父さんには学校休んでいること、言っちゃ駄目よ」の条件付きで休みを許してくれるようになった。父に言うと「体調が悪いなら病院に行け」の一点張りでひどく面倒なのは分かっていたから従った。しかし、どこか悲しい気持ちになった。

母に休みをせがむこと以外、誰にも助けを求めなかった。今までも、助けを求めたり悩みを打ち明けたりなんてしてこなかった。しらずしらずのうちに、大嫌いな「何でもそつなくこなす優等生」のレッテルに、自ら縛られていた。相談するなんてキャラじゃない、と。

母には「嫌なことを言ってくる人がいて」とそれとなく伝えたが、妹の名前を出されていることはとても言えなかった。担任の女性はうすうす気付いているだろうが、体育会系の明るいキャラクターが大の苦手で、自分から話す気はさらさらなかった。
週2日は母に無理矢理送迎されて学校へ通い、残り3日は休むような日々が続いた。

担任から呼び出され、思いも寄らない質問をされた

夏頃、自習時間に担任から突然呼び出された。クラスメイト全員の視線を背中に受けながら担任の後をついていくと、思いも寄らない質問をされた。
「月さ、今学校何日休んでると思う?」
彼女とはあまり一対一で話をしたことがないが、フランクに私を下の名前で呼んだ。
「……さあ……」
「このペースで休んでたらさ、高校行けなくなるよ」
盲点だった。欠席を一定以上していたら、高校受験に響くらしい。
「月が休んでる日、クラスの皆に聞いたわけ。そしたらこういうこと言われてるとかされてるとか、色々教えてくれた」
「…………」
ああ、担任も、周りのクラスメイトも、見えていたのかとぼんやり思った。誰かが担任に伝えてくれたのは少し複雑だった。全員見てみぬふりだったくせに、助けてくれなかったくせにと頭をよぎった。
「で、主にやってるのAって聞いたんだけど、合ってる?」
「……はい」
「Aに話聞いたら、すごく申し訳なく思ってるから謝りたいって言ってるんだけど、どう?」
「……はあ」

急な展開に、思わず眉間に皺を寄せた。数ヶ月し続けたことを、たった一言の謝罪で帳消しにするつもりなのか。
どんな気持ちでAが担任にそう伝えたのか分からないが、ひどく嫌気がさした。

変わらない態度の担任。「大人でも話せる人がいる」と思った

「……相手はごめんと言えばすっきりするかもしれませんが、私は謝られても困ります。妹のことを馬鹿にされて、今更何言われても許せません。でも、目の前で『ごめん』と言われたら、いいよって言わなきゃいけない空気になるじゃないですか。そんな簡単に水に流せるほど優しくないし、されたことがなくなるわけじゃないので」

担任の表情が少し変わった気がした。
「……おっけ、分かった。また私からAにはガツンと言っておくから。その代わり、学校には来てよ。出席日数がないと、どうにもできないところがあるから。ね、月。約束して」

その日から、パタリといじめられなくなった。少しのぎこちなさはあったが、今までに比べたらかすり傷だった。
私は毎日通学できるようになり、第一希望の高校にも合格して卒業した。

担任は積極的に声をかけてくるわけでもなく、以前と変わらない態度で接してくれた。
あの日、担任から呼び出されていなかったら、私の声を聞いてくれていなかったら、私の人生は大きく変わっていただろう。
誰にも相談できず、いじめの事実を受け入れられていなかった私を、あの大人は唯一真正面から向き合ってくれた。一方的に意見を押し付けるのでもなく、妙に優しくするわけでもなく、適度な距離から私の意見を尊重してくれた。

大人は無愛想な私が扱いづらいだろうと思っていたし、私も「何でもこなせる優等生」と決めつけてくる大人が苦手だった。
そんなひねくれた私を救ってくれた彼女は、「大人でも話せば分かる人がいる」と思わせてくれた。

十年以上経った今、大人と呼ばれる年齢になったけれど、自分を含めて本当の大人はそう多くないと感じる。
困っている人がいれば、声をかける。適度な距離感で、手を差し伸べられる。
それをできるようになれば、大人なのだと思う。