東京で雪が降った。
雪は12月に降るものだと思い込む癖が小学生のころから抜けないけど、今年もどうやら間違っていたらしい。
寒くて寒くて仕方ない。
エアコンをぽちっと押せばいいところを、なかなか布団から動けない。
そのままたいして分厚くもない毛布をありったけまといながら、「さむいさむい」と唱えることもせずに、何もない壁に目をやる。
薄暗い部屋に、ひとりきり、ぽっかりと世界に切り離されているように感じる。
退職した次の日から、なにもかもが一変してしまったことを知った
去年、新卒で入った会社を退職した。1年と半年だった。
体調が悪くなったわけでも、気持ちが追いつかなくなったわけでもなかったけれど、辞めた。一応考えるべきことは一通り悩んだものの、決めた後はあっけなかった。
幸いに周囲も変わらず、温かく社会人としての私は私としてそこに最後まで居続けられた。
しかし私は、退職した次の日から、なにもかも一変してしまったことを知った。
寝れば誰かに追われて、殺されそうになり、何度も夜中に目が覚めた。
そもそも眠れないのだ。目を閉じられるように、睡眠モードに入るスイッチはなぜ体にないのだろうか。
コロナワールドとなった今、生身の人間と話す機会がめっきり減り、声を発さなくなった。表情の使い方を忘れた。
身なりを気にしない、いや、何のために整うのかがわからなくなった。
なぜ生きているのかを頻繁に考えるようになった。
自分は何者なのか。
家から出ても気が晴れなくなった。
そもそも寒いのだ。外も中も。
私の生活は6畳の部屋で完結し、生きる世界そのものになっていた
するとああ不思議。
私の生活は、この6畳の部屋の中で完結してしまうようになったのだ。
起きて、布団から出て、パソコンに向かって。布団に戻って、寝る。
それで一日が過ぎてしまう。
世界から切り離されて、いやこの部屋の全てが、私が生きる世界そのものになっていた。
私は、この6畳の世界にいるために、私が私である証拠を示す必要があった。
それはある意味パンドラの箱のような、踏み入れてはいけない迷宮ゲームに体一つで挑む途方もないことだった。
心は日に日に荒んでいった。
もうあの日の私はどこにもいなかった。
東京に雪が降った。
実家を出てから初めて見る雪だった。
夜も深まり、辺りはしんとしていた。はだしでベランダに出た。
ふと空を見上げると、時が止まった。
何千何万もの雪の結晶が、そこにただ動かず存在した。
次の瞬間、風に吹かれ散り散りとなり、落ちていった。
目の前を落ちていく雪は人生そのもの、人はどう生きてもいいんだ
そして私は、ああこれが人生なんだと気づく。
この目の前を落ちていく雪は一人一人の人生そのもので、人は最後を迎えるまで、どう生きてもいいんだと。
四方八方に風に飛ばされようと、宙にとどまろうと、それは偶然でまた自由なのだ。
結晶は一つ一つ異なって、同じものは決してないという。
まさに人間じゃないか。
真っ直ぐ落ちても、周りにぶつかって大きくなっても、巻き上げられて戻ってきても、
別にいいのだ。
流されても、抗っても、あきらめても、頑張り続けても、それもまた人生の一部なのだ。
私の世界に、誰かの人生の一部が入ってきたこの時、涙が止まらなかった。
とにかく涙が溢れて溢れて、やっと泣けたのだとわかった。
次の日もまた同じ一日を過ごした。
きっとしばらくは続くだろう。
でも今はそれでいい。いつかは終わり、また始まるから。
だから私は今を自由に生きてみようと思う。
これが今のところの私だ。