「奨学金って、借金だよ」
そう言われたのか、私が認識したのか、もう覚えていないけれど、少なくともそれを理解したのは、私が大学に入る頃だった。

悩みながら過ごした高校生活。素直に「ありがとう」と書けなかった

私が中学生の頃、母は体調を崩して休職、手術をした。その収入が減ったタイミングで、私は高校から奨学金を受けていた。
当時中学生だった私は、とりあえず母に勧められるまま、書類を書いて学校に持って行った。幸いにも、私は受給資格をもらえた上に、返済額が半分になるよう、支援をしてもらえることにもなった。

高校に進学してから毎年、支援してくださった方へ、学校生活の様子と御礼の手紙を書いていた。けれど、私は自分の高校生活、私生活に悩みながら過ごしていて、素直に「ありがとうございます」と書くのが、とても難しかったことを覚えている。

奨学金は、私名義の地元の銀行で受け取っており、書面上ではいくら支給されているのかを知っていたけれど、それをどこに使っていたのか、はたまた貯蓄していたのか、私は知らなかった。

精神疾患を抱えていた母は、毎月仕送りをしてくれていた

そして次は大学。申し込みは、もちろん高校時代に済ませなくてはいけない。
その頃、私は時折出てくる鬱のような症状を抱えていたが、それ以上に母が重い精神疾患を抱えていた。働けないほどだった。そして、また収入がない期間が発生した訳である。
申し込んだ結果、支給資格を得ることが出来た。

大学では県外に進学し、母とはあまり関わらないよう過ごしていたため、実際どれだけの期間休職していたのか、どれくらい症状が重かったのか、詳しいことは未だに知らない。また、奨学金は以前と同じ様に地元の銀行に振り込まれていたため、その行方を知らなかった。
毎月送ってもらう仕送り額は、どこからどうやって出ているのか。私は学校に通っているよりも、働いて稼がなくてはいけないのではないか。
そんなことを、私なりに一人で悩んで、出来るだけアルバイトをするようにした。

いつしか、学問よりアルバイトが主軸になり、成績が落ちたことで三者面談に呼ばれもした。そこで指導担当の教授が言ったのは、「中退するということは、学歴に傷がつくようなもので」みたいな、そんなありふれた言葉だった。
母が働けない状態にあるとか、そのために私なりに悩んでいるとか、そんなことを話す気になれなかった。そして、母も自分の収入や生活、奨学金の活用先について、話すことはなかった。

私から聞いた記憶もあるけれど、はぐらかされてしまった気がしている。月々の仕送り額は、ずっと変わらないままだった。
結局、私のバイト代は単純に“自由なお金”になって、中盤まではライブや買い物などの遊び代に、終盤は就活時の遠征費になった。就職が決まった頃、上京の引っ越し費用と頭金は残らなかった。

お金のことはもっと素直に、現実的に考えたかった

私は、奨学金に対して「よく知らない間に、働いてもいない内から借金を背負わされた」という印象しかない。高校も大学も、自分の中で疑問を持ちながらの進学だったため、自分のためのお金だと思えなかった。
何より、母が「借りられるうちに借りておいて」と言ったことが、そう印象付けているのかもしれない。

もっと上手く母と話が出来ていたら、お金のことも含めて、進学を相談できていたら。
母子家庭にコンプレックスを持っていたであろう母の、心配をかけさせまいという気遣いだったのかもしれないけれど、お金の話はもっとシビアに素直に、現実的にしてほしかった、と今は思う。

とは言え、私の名前で借りている、私の名前の口座から返しているお金だ。そんな風に今は受け止めている。だから、返済用の口座のカードも通帳も銀行印も奨学生証も、私の手元に送ってくれと強く言って、全部自分の手で握ることにした。
そんな私自身も結局、適応障害で辞職したまま今に至り、収入の減った現状の打開策を一人で練っている最中である。