感謝しつつ憎んでいた母。私が母親になったとき、その呪いは解かれた

私は29歳の子ども。
成人式の時も、社会人になった時も、なんの疑いもなく、自分は大人だと思っていた。でも、そうではなかったみたい。
自分は子どものままだと気づいたのは、つい最近のことだった。
昔のことを思い出す。
父は私が5歳、妹が3歳、弟が1歳の時に亡くなり、母は私たち3人の子どもを1人で育てた。専業主婦だった母は仕事をするために30代半ばで専門学校に通い、資格をとって正社員として働いてくれた。
並大抵の努力でできることではなく、母には頭が上がらない。そのおかげで兄弟3人とも大学や専門学校まで通う事ができ、無事に社会に出て働けている。
母にはもちろん感謝している。だけど、そんな母を私は憎んでいた。
育ててもらった親に感謝すると同時に憎むような感情。一見矛盾するようだけど、そういった複雑な気持ちを持った「子ども」は意外にも多いのではないだろうか。
母は普通の家庭の母親と比べてかなり暴力的だった。
すぐに手が出る。物が投げられることもある。自分の意見を言おう物なら反抗したとみなされ、叫んでもっとひどい言葉をかけられる。大学生になった頃でさえ、母の前では思ったことを言えず、怯えていた。
「私はダメな奴なのだ」という呪いが無意識のうちにかけられていた。自己愛、自尊心。そういった気持ちが足りない人間になっていた。
でも、その呪いはついに解かれることとなった。
私のお腹に赤ちゃんがやってきたのだ。
それがきっかけで、ここ数ヶ月、「母親になること」「母のこと」について考える機会が増えていた。そしてある日、「私は母を憎んでいるのではなく、好きだったんだ」という思いがけない感情に気づいた。
もっとカッコ悪くて子どもっぽい言い方をするなら、「もっと母に愛されたかった」という感情なんだと思う。例えば海外ドラマのように無条件に「あなたは素敵な娘(息子)よ」と語るシーンのように。テストで良い点数を取れなくても、晩御飯のおかずを焦がしても、運動会で1番になれなくても「あなたは素敵よ。大好きよ」と言ってほしかったのだ。
その感情に気づいて、「私は29歳の子どものままだったんだ」と恥ずかしい気持ちになった。
これじゃいけない。誰かに自分の価値を評価してもらおうとするのは甘えや依存だ。私は自分の価値を自分で認めてあげられる。だって、もう大人なのだから。それが自立なのではないだろうか。
気づけばもう、私は母が母親になった年齢を超えていた。
私はあの時の母より大人なはずなのだ。それなら、もう理想の母親像を母に求めなくても、この感情を自己完結できるはず。そう考えて、編み出したのが「自分が自分の母親になる」という方法だった。
例えば、仕事でミスしたら「大丈夫。次ミスしないように対策を考えようね」と、誰かに傷つくような事を言われたら「気にすることはないし、あなたは素敵よ」と、自分が自分の母親になったつもりで優しく語りかける。
今までなら「なんて自分はダメな奴なんだ」と責めていた。もう、そんなことはしない。
私は29歳。母になる。
そう考えられるようになってから、母に対して憎むような気持ちはほとんどなくなっていた。「きっとあの頃は、そうしないとやってられないほど大変だったのかもしれない」「昔のことを考えるのはもうやめよう」と思えるようになった。
自分を自分自身で癒すことができるようになると、母にも、それ以外の人や物事にも優しくなれた。
今年の3月下旬に赤ちゃんが産まれる。
私はやっと大人になれるような気がしている。
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