職業、消防士。女性の割合は、きわめて少ない。だから、選んだ道。
今年、昇任試験4回目にして、合格した。今年の4月からは、階級が1つ上がる。
試験という名の付くものに、やはり合格は嬉しいものだ。また、気持ち新たに頑張ろうと思う。
というのは、表面上だけかもしれない。
実際のところ、今後を考え、戸惑っている自分がいることは確かだ。

職場での漠然とした不安、生きづらさを感じてしまうのはなぜなのか

今の業務は自分にはとても合っていると思う。
専門的な分野を極める。消防士というと、災害現場というのをおそらくはイメージするであろうが、そうではない。法律や条例など、ひたすら知識の積み重ねが続く。
現場活動しかイメージしていなかったが、そうではない業務が無数に存在することに、改めてこの仕事を選んで良かったと思える時がある。

しかし、漠然と、この先に不安しかない、と仕事の経験を重ねるごとに感じることが増えた。それは一体、なぜなのだろう。おそらく、考えて、はっきりと答えが出るものではない。

この世界は、自分が思っているよりもはるかに、混沌としていて、複雑で、分かりにくい。だから、小学生のテストみたいに、〇か×かで採点出来るほど単純なものはほぼないと思って良いのかもしれない。
私自身は、白黒主義なところがあるので、原因は何か、理由は何か、全てにおいてはっきりさせたい、というのは本音だ。だが、そうはいかない。

例えば、私がこの職場で生きづらさを感じてしまうのはなぜなのか。
それは、そもそも、職場に限った話なのか、それより以前に、この世界に生きづらさを感じているのではないか。
自分の中に、浮かび上がる疑問は、それはそれは無数で、終わりがない。こんなことを誰にも言えないというか、言わないので、基本的に常に心の中は迷いや悩みで満ちているように思う。

女性が少ないがゆえに、相談出来る人が身近にいない

唯一思うのは、女性が少ないがゆえに、相談出来る人が身近にいない、ということだろうか。
上司や先輩は、優しいので、「何かあったら相談を」と言うが、実際、そんな簡単に相談なんて、出来るはずがない。何となく、分かってくれる気がしない、と勝手に私が決めつけている部分があるので、見方を変えれば、自分で引っかけた罠に勝手に引っかかっている、どうしようもない奴なのだと思う。
相談するには勇気が必要だ。へんに思われたらどうしようとか、みんな同じ、とか言われたら相談したこと自体を悔いそうだとか。
そんなことを考えると、相談事をわざわざ言葉にして相手に伝える労力が無駄としか思えない。

きっと、こんな自分は考えすぎで、世の中を悲観的にしかとらえられていない。しかし、そういう自分がいることを自分で実感することで、自分を保っていることもある。だから、平凡な毎日を過ごすことが逆に怖かったりする。

仕事場でもそうだが、この世界の他人は、自分が思っているより、実は優しかったりする。しかし、人を頼ったり、甘えたりすることが苦手だ。
しかも、そういう部分で、「女性だから」とか、思われるのが、おそらく1番嫌なのだ。女性であることは特権、という考え方が私には今のところ分からない。しかし、性別というのは、何をどう頑張っても、覆らない人間の差なので、うまく使っていけるのが良いのだろうが。

仕事と私を考えるとき、女性であるという考えなしには何も始まらない

仕事と私。このテーマを考えるとき、自分が女性である、ということの考えなしには、何も始まらない。
女性で良かったのか。この職業を選択して良かったのか、女性としてあるべき姿は何なのか、その理想像に近づかないといけないのか、演じなければならないのか。

最近は、多様性という考え方が受け入れられつつあるので、基本的にはどんな人も排除されることはない。
しかし、思うに、多様性とは、言い方を変えれば、「共感出来ない」ということではないだろうか。この考え方を相手に分かってもらいたい、と思うこと自体が、もはやどうにもならないということ。
だとしたら、私はこの先、何に心の拠り所を求めていけば良いのか、と、広い原っぱに1人放たれたような気持ちになるが、それはそれで、自分を試されているような気もして、悪くもない気がする。
自分の足でこれからも、歩いていこうと思う。