「彼はもう来ないのだな」
約束の時間をとうに過ぎた公園で、1人ぼっちの私はチョコを握りしめている。14歳の2月14日は、私にひどく冷たかった。
彼が待ち合わせに来なかったのは、事故やトラブルに遭ったわけではない。ただ気持ちが失せたのだ。
あまりに惨めなこの出来事は、意外にもバレンタインデーを私にとって「感謝の日」にした。

約束の時間を過ぎても彼は来ない。「逃げたな」と女の勘が働いた

中学生の頃、同じ学校に通い、お付き合いする彼氏がいた。その学校ではチョコの持ち込みは許されておらず、その日は帰宅後に近くの公園に集まる約束をした。
生まれて初めて作ったチョコを手に、いそいそと公園まで向かった。まるで少女漫画の主人公のような気持ちだ。世界はキラキラと輝き、胸は恋の喜びに高鳴る。
ところが、その世界に彼は現れなかった。約束の時間を20分も過ぎ、やっと疑い始めて電話をするも応答はない。「逃げたな」と女の勘で確信した。

抜けた魂が頭上から自分を眺めているような感覚だ。冬の灰色がかった公園に、1人佇む姿はあまりに哀れだった。
家族にこの事態を知られるのは恥ずかしい。私はチョコを食べて帰ることにした。普通に美味しい。
「私、全然平気じゃん」
心で唱えながら、チョコを齧り続けた。

翌日、彼にドタキャンの理由を聞いた。正直、彼の回答は覚えていない。あまりにもしどろもどろかつ、曖昧だったためだ。私は怒りをぶつけることもなく「あ、そう」と終わらせた。
どちらかというと自分に失望していた。なぜこの事態を予期できなかったのか、こんなに頑張ってしまったのか、あんなに待ってしまったのか。敗者の気分だった。
ほどなくして私達は別れた。悲しみは感じなかった。きっと互いにさほど好きではなかったのだろう。
しかし、本当の気持ちを自覚するのは、なんと数年後の成人式であった。

彼に話しかけられ踵を返したときの爽快感は、あの日の悲しみの証明

別れてからずいぶん経ったとはいえ、元恋人達の再会は気まずい。きっと暗黙の了解で避け合うはずだ。
残念ながら母校で開催された小さな成人式で、私達はすぐに目が合ってしまった。そっと目を逸らそうとしたところ、なんと彼はずんずんと近づいて来る。
「久しぶり!」
口下手で照れ屋だった少年からは想像できない程、彼の声は軽やかで興奮気味だった。予想外の出来事に私は「ああ」としか声がでない。何の用だろうかと私が身構えると、彼は少女のように頬を上気させ、潤んだ目で言った。
「綺麗になったね」
瞬間、すうっと胸に冷たい風が流れてきた。
「そうかな」
それだけを微笑んで答えて私はその場を去った。その日は化粧も髪型も着付けもプロに任せておりドーピングに近い状態だが、あえて伝える義理はない。
私が踵を返すとき、彼はまだ話したそうに口をぽかんとさせていた。

すっきりした気持ちだ。同時にその爽快感こそが、本当はあのバレンタインデーにひどく傷ついていたことを証明した。
こうして過去の悲しみを認知し、大人の階段を登った。

苦い青春の記憶があるからこそ、味わえる感謝の気持ち

結婚した今でも、バレンタインデーが近づくと苦い青春の記憶が蘇る。
しかし、この苦味こそが際立たせるのだ。私からのチョコをそわそわして待つ人がいるという幸せを。今ではチョコとともに、幸せを与えてくれて「ありがとう」の気持ちも夫に渡している。

不条理なバレンタインデーを経験した人に伝えたい。
傷ついた自分を責めないでほしい。いつかあなたを愛する人にチョコを贈る日が来る。その日、かつてあなたからの贈り物を受け取り損ねた者がどこにいようとも、あなたは人生の勝者である。
その気持ちを味わえるのは傷ついた者だけだ。その経験がなければ得られない特別な幸せがある。

私の想いを喜んでくれる人がいる。その幸せに感謝する。それが私のバレンタインデーだ。