ジャメヴ、つまり見慣れたものが未知のもののように見える「未視感」に陥る瞬間は稀にあるが、それを殊更感じるのは帰省のための電車を待つ間だ。
ホームから見える景色は見知らぬ土地のような錯覚を与え、普段は耳に入ることもない電車のアナウンスが新鮮味を帯び、上京したばかりの時分を思い出す。
11年前の春のことだった。
それまで電車というものが生活に組み込まれていなかった私にとって、流暢な英語の車内アナウンスや乗客でひしめく車内の光景は、背負う不安と期待を増幅させた。
知る人が父しかいない環境のなかで生活をはじめることへの不安、志望の学部に合格して夢を叶えるのだという期待を抱え、私は予備校に向かう電車に日々揺られていたのだった。
車窓を眺め、彼の好きな曲を聴く。彼に会いたくてたまらなかった
山口にある実家へ帰る新幹線で、車窓に流れる景色を眺めていると、私の頭を占める存在がある。
彼は今、私が最も住みたいと願った地で夢を実現している。どんな毎日を過ごし、どんな面様をしているだろうか。彼の好きな曲を聴きながら想いを馳せる。
そして気がつく。ああ、私は彼に会いたくてたまらないのだと。
予備校のクラスメイトだった彼と初めて言葉を交わした時を、未だによく憶えている。共通の友人に声をかけられた彼は、椅子に座ったまま後ろを振り返り言った。
「前から広島弁が気になってたんだよね。自分も小学校まで広島にいたんだよ」
どうやら普段の会話が耳に入っていたらしい(過去に居住した広島を愛し、広島に骨を埋めることを心に誓っていた私は当時、頑なに方言を使い続けていた)。彼の柔らかな口調はメロディのように耳に響き、すらりとした長い指先がやたらと目に入った。
それから、日を追うごとに増えていく会話のなかで、少しずつ彼について知った。
誰より早く教室に来てペンを握り、誰より遅く帰って行く姿も知った。アルバイトをしながら受験を続け、今年が6年目の挑戦だと笑う彼に卑屈さは微塵もなく、私はそんな彼を尊敬していた。研鑽を積む彼の姿は、私を鼓舞したものだった。
交際が始まり、毎日が幸せだった。添い遂げると互いに思っていた
受験を終えた春、初めて2人で出かけた。柔らかな日差しが心地よい、とても穏やかな日だった。そんな陽気が似合う彼の笑顔を見ながら、いつしか異性として惹かれていることを自覚したのだった。
その後、夏に交際がはじまり、毎日が幸福だった。生を享けてよかったと心から感じたのも、他人に心の内を打ち明けたのも、初めての経験だった。彼からとても大切にされていたと、今でも思う。
原因はいくつかあった。私たちのストーリーを知る身内や友人は「タイミングが悪かった」「運命の悪戯」と口を揃えて言う。
なんであれ、結論からいうと、このまま添い遂げると互いに予覚していた私たちは、数年の時を経て別れを選んだ。
その後幾ばくかして、彼が勤務先と決まっていた広島に発つまで数年間に渡り、食事に行くことも映画鑑賞に行くことも何度もあった。会うたび別れがつらく、名残惜しさから互いに電車を先延ばした。見知ったる友人からは何故復縁しないのかと首を捻られた。
しかし、私たちが再び付き合うことはなかった。
私たちの人生が交差することはもうないけど、彼の幸せを願っている
広島に発って以来、彼は一転して私との連絡を避けるようになり、2年が経とうとしている。広島に骨を埋めるのだと言い続けた私は、未だ関東在住である。
今、彼と会うことができたならば。彼の腕の中に飛び込むことができたならば。何度思い巡らせたことだろう。
私たちの人生が交差することはもうないのだろう。それでも、今をひたむきに生きている限り、私は彼を傍に感じることができる。私たちの出会いは夢から始まり、それぞれの今に繋がっているのだから。
今、私は新幹線に揺られながら考えている。これまで選んできたもの、選ばなかったもの、そして選べなかったものについてを。
あと1時間もすれば、彼の住む街を通過するだろう。そして、景色を観ながら願うのだ。
どうか彼が今幸せでありますように、今後も穏やかに生きてゆけますように、と。