私が1人旅をするようになったのは、2年前の大学2年生の夏だった。
なぜ「1人」なのか。「人間関係に疲れてしまった」そんな理由からだった。

「1人」は恥ずかしいことだと思っていた。グループに入っても

大学入学当初、当時の私は必死だった。
顔見知りが誰もいない中での友達作り、どこかのグループに所属しなければという焦り。
「1人」でいることは恥ずかしいことだと思っていた。
なんとか入れてもらえたグループで、「1人」ではなくなった私が得たものは「独り」という感覚だった。

ひどいことをされたわけではないし、人を傷つけるのとは真反対にいるような人達だった。
ただ、一緒にいると常に誰かが溜息をついていた。
その溜息がグループ内で伝染する毎日が苦しかった。

「私だけでも、しっかりしていなきゃ」
グループに所属することに必死だった私は、次は溜息を受け止めることに必死になった。
1年が経った大学2年生の頃、もう私は限界だった。
勝手に受け止めようと必死になって、勝手に限界を感じて、勝手に病んでいる自分に嫌気がさす毎日。
一人暮らしのアパートで、毎晩涙が止まらなかった。

新幹線のスピードに合わせるように、私の心臓の鼓動も速まった

そんなとき、横浜に単身赴任中の父から突然連絡があった。
「横浜、いつ来る?いつでも来ていいし、鍵も渡すから長くいていいよ」
この頃になると大学に関わる全てから距離を置くことに必死になっていた私は、喜んで8月の1週間を父の単身赴任先で過ごすことに決めた。

1日目、東京行の新幹線の車窓は、見慣れた大学近辺の景色からどんどん見慣れない景色に変わっていく。新幹線のスピードに合わせるように、私の心臓の鼓動も速まった。
出発から新横浜着のアナウンスが聞こえるまで、数時間もかかっているとは思えなかった。

父のアパートの最寄り駅に着くと、しばらくして父が迎えに来てくれた。
焼き鳥をご馳走してもらった後、父の住むアパートまで歩いて帰ることになった。
父のアパートまでは20分ほど続く上り坂だった。8月の夜は暑い。
1週間分の荷物が詰め込まれたスーツケースは、いつの間にか父が引いてくれていた。

2日目は、「1人」でみなとみらいを歩いた。
万歩計を付けていたらエラーになるんじゃないかっていうくらい歩いた。
興味本位で、コスモワールドのジェットコースターにも乗った。「1人」で。
知らない土地の知らない人、誰もがその旅行中でしか関わらない人だと思うと、「1人」でいることなんて気にならなかった。

3日目は、父と東京観光をした。東京メトロの乗り放題切符を使って、アメ横、スカイツリー、月島……割とベタな観光を楽しんだ。
父と1日外出するのは中学生ぶりだった。

女友達と遊んだ帰り。長い坂道も、どことなく足取りが軽かった

4日目は、関東に住む高校時代の女友達Pと渋谷で遊んだ。
「1人」でいるための旅行で唯一、私が会いたいと連絡をとった人だった。
彼女と私は元々特別仲がよかったわけではなかった。高校卒業後にSNSを通してお互いの趣味が同じことを知ったことがきっかけで連絡をとるようになった。
横浜まで来たからには、彼女に会いたかった。
高校時代は考えられないくらい長い時間一緒に過ごし、私は久々に大笑いした。
当時は知らなかったお互いの一面を知ることができた新鮮な1日だった。
その日は、帰りの20分ほど続く長い坂道も、どことなく足取りが軽かった。

5日目は、「1人」で東京観光をした。渋谷、秋葉原、お台場……行きたいと思った場所に行くだけの1日だった。
最後に東京タワーに行った。展望台からみる東京は、田舎とは違う煌めきがあった。
目に留まった星形の輝きの正体は、交差し合う大きな道路だった。
東京の夜景に夢中だった私は、周りが家族連れやカップルだらけだったことに気付くと「1人」を実感した。ちょっと、寂しかった。

私らしく生きるには、知らない場所で「1人」になる時間が要る

6日目は、朝から雨だった。仕事から帰る父を待つ間、泊まらせてくれているせめてものお礼にと、晩御飯を作ることにした。大学2年生になってからほとんど自炊していなかった私のお味噌汁を、父は「ありがとう」と言って食べてくれた。

7日目は、SNSでやり取りしていた共通の趣味を持つ知人に急遽会うことになった。
朝から千葉のライブ会場へ向かい、ライブの雰囲気に押されて当日にノリで「1人」分のライブのチケットを取った。その行動力に自分でも驚いた。
フォルダには、知人だけでなく、会う予定じゃなかった人と笑顔で写った写真が何枚も残った。
あれほど「1人」になりたがっていたのに、旅先では人と出会うことを楽しんでいる自分が不思議だった。

最終日は、横浜駅まで父が見送りに来てくれた。
私が新幹線に乗る前に、一緒に入った中華料理店で、父が「明日からまた『独り』だなあ」と、笑いながら呟いた。父の涙ぐむ目を見たのは20年生きてきてそのときが初めてだった。

「1人」だからこそ、本当に会いたい人に会う時間をつくれた。
「1人」だからこそ、自分の気持ちに素直になれた。自分を大事にできた。
「1人」だからこそ、知らない人と出会う楽しさを知った。
「1人」だからこそ、誰かが側にいてくれる有難さとあたたかさを実感した。

「1人」でいる時間が多かった1週間。でも、「独り」だとは感じなかった。
私が私らしく生きるには、知らない場所で「1人」になる時間が必要だと気付いた。
私にとって、自分と人への愛情を再確認するための「1人」旅なのだ。