努力しなくても点数が取れてしまう。だけど勉強以外の私の価値って

優等生。私はいつもそうだった。
勉強がよくできた。実技系が多少だめでも、筆記でカバーする。
勉強でほめられて、安心されて、頼られてきた。
再試験や落単なんて言葉とは無関係、のはずだった。

これは伝わりにくい感覚かもしれないけれど、そういう優等生のなかには、勉強が「できてしまう」タイプがいる。もともとできてしまうから、あんまり努力しなくても点数がとれる。たぶんIQが高いとかそういうことなんだけど、私はそういうタイプだった。

だけどいつも、ふいに頭に浮かぶ雑念があった。もし勉強ができなくなったら、私になんの価値があるんだろう。もし優等生じゃなくなったら、私はどうしたらいいんだろう。
そういう強迫観念じみた考えがあったから、私はいつでも勉強だけは頑張ってきた。
もともとできるから、拍車をかけて努力すると、大体いつも学年のトップに上り詰めることができる。それが誇らしくもあり、より自分にプレッシャーをかけた。

体調不良で入院し留年。「もう頑張らなくていいよ」の言葉

だから自分が留年するなんて、夢にも思わなかった。
勉強でつまづいたのではなく、体調不良で入院した。そのため、結果的に留年した。
だけど、入院するほど衰弱していたのに、その2日前まで課題をやっていたのには、我ながらもはや恐怖というか、強すぎる執着心を感じた。別に東大に入るわけでも、学者になるわけでもないのに、何がそこまでさせるんだと思った。

休学してしばらく経ったあと、面談で教授に言われた。
「もう頑張らなくていいよ」と。
その言葉が身に染みて、ああ、たぶんずっとその言葉が聞きたかったんだな、と私は思った。

もう頑張らなくていいよ。
それはつまり、もうあなたは十分すぎるほど頑張ったから、なにも結果を出せなくても、ここにいていいんだよという意味。それ、もっと早く言ってほしかったな、と内心感じた。
もう頑張らなくていいよ……。その言葉だけが反芻して、頑張らないってなんだろうとか、そんなこと言われるほど頑張ってたのかなあとか、いろいろ考えた。

「頑張らない」の意味はまだ分からないけど、その言葉は心に

最近、オリンピックを見ていると、選手たちもそういう感覚に陥ることがあるんじゃないかなと思う。地元を、地方を、日本を勝ち抜いて、世界レベルの優等生と競って戦うのだから。
日本の代表と言われるって、誇りと同時にすごいプレッシャーだと思う。そんな自分からこの競技がなくなったらとか、考えることってあるんだろうか。

でも、もしこれ以上頑張らなくていいやなんて思ってしまったら、メダルに手が届くこともないのだろう。選手といっても同じ人間だから、そういう葛藤もあるんじゃないかなと、テレビの前で一方的に共感したりしている。

私はといえば、まだ「頑張らない」の意味が若干分からずにいる。
努力して、努力して、根性で叩きあげられた根っからの頑張り症は、なかなか簡単に治るものではないらしい。だけど、「もう頑張らなくていいよ」という言葉は、いつでも心に留めておきたいと思う。

そんなに頑張らなくていいよ。頑張らなくても、何もできなくても、そこにいていいんだから。そういう温かい言葉を、私もいつか誰かにかけたい。