このままずっと永遠に続くように過ごす日々の中で、「想っていることは言葉にして伝えられるうちに伝えよう」と、思わせてくれる出来事は時々起こる。きっと、このことを忘れないように別れは突然訪れる。

私には、想っていることを伝えきれなかった人がいる。いや、そのときは伝えようともしていなかった。まだ伝えるタイミングは、いっぱいあると思ってたから。

その先生は、決して周りの生徒からは好かれていなかったけれど…

私が高校生のとき、1年生のときから3年間、ずっと隣のクラスの担任だった先生。若くはないし、どちらかと言えば定年が近いような先生だった。

わたしは、優しく笑って話してくれる先生が大好きだった。
授業中に1番前の席の私をかまってくれるし、部活中も会うと話しに来てくれてたし、部活の大会まで応援しに来てくれていた。顧問がいなくて困っている部活の顧問になってたりもしていた(自分の担任とは大違いだと思っていた)。

でも、周りの生徒には好かれていなかったように感じる。
男子には厳しくて、女子には甘いような、ひいきをしていたことは事実である。そんな周りの雰囲気に「私は好きだけどね」と、言えなかった。これもまた事実なのである。

テスト返しの日。先生が差し出した手の温かさは、ずっと忘れない

高校生だった私が、いま先生のために出来ることは、先生が授業で教えてくれていることを勉強して、テストでいい点を取ることだと思っていた。
先生が担当の国語は、学力(テストの点)順にクラス分けされていた。先生のクラスになるためにいつもいい点数を取っていたことは、いまだから言えることである。

もう1つは、古典の授業。古典に何の興味もないのだけど、先生にいい点数を見せることが恩返しだと思っていた私は必死に勉強した。
年に数回の定期テストだ。そんなにチャンスがある訳ではない。

あるテスト返しの日。みんなにとってはただのテスト返しの憂鬱な日かもしれないが、私には点数がかかっていた。
1人ずつ名前が呼ばれて前に取りに行く。私の内心は、緊張して心拍数が上がっているのを感じながらも、友達と話をして平穏を保っているふりをしていく。

名前が呼ばれ、前に行くと、先生が手を差し出してきた。あの手の温かさは、ずっと忘れないだろう。
私の回答用紙には、先生からの100点の文字があった。私は、高校生活での最初で最後の100点を取った。いま、その点数は何の意味もないのだけど、そのときの私にとっては価値のある、先生への感謝の証だったのだ。

気持ちは伝えなかった。いつでも会えると思っていたから

そんな厳しくも楽しい3年間の高校生活も幕を閉じようとしていた。
卒業の日、アルバムにメッセージを書いてもらいに隣の教室に行った。わざわざ隣のクラスに入ってまでメッセージをもらっている自分が恥ずかしくて、「早く書いて!卒部式あるから!」と急かしてたことは今も記憶している。
ちゃんとした感謝の気持ちも言えずに高校を後にした。

卒業してからも部活を見に行くときには、先生に会いに行っていた。相変わらず、先生は先生のままだった。
「またね」って別れて、私が母校に行けばいつでも会えると思っていた。

私は大学生になって、テスト期間の真っ最中のことだった。テストとの間の休み時間、高校時代の友人から連絡が来た。
「先生が亡くなった」と。
数人の友人と高校時代にお世話になった先生からも、連絡が次々と来る。だんだん現実味が増して、涙が溢れてくる。テストも泣きながら受けた。

受け止めきれなかった私は、たくさんの言い訳を並べて告別式には行かなかった。今思えば、本当に非常識だなと思うけど、この事実をどうにか信じないように現実逃避をしていたのだ。

想い続けている人がいる、そのことだけでも届いてほしい

「あの100点は、先生がいてくれたから、先生だったから取ったものだ」と、「先生の優しさが好きだ」と言えずに、いや「ありがとう」すら伝わらずに今に至ってしまった。
伝える勇気がなかったことが、この上ない後悔である。あの頃の自分は、100点を取ることよりも直接想いを伝えることの方が難しかったみたいだ。

いまも記憶とアルバムの中に思い出はたくさんあるし、先生からもらった文字の輝きも褪せていない。
急いで一生懸命書いてくれた文字。
「よくがんばりました。前を向いて進め」

何年も経った今でも、私は涙を堪えることで精一杯です。
先生を想っている生徒はここにいるし、地元ではないところで告別式が行われるぐらい先生に会いたかった生徒はたくさんいたと知りました。

そして、想い続けている人がいることだけは届いてほしい。

文章にすることでずっと残る気がするし、想いは言葉にして伝えようという誓いと願いを込めて。