あっという間に好きになった男の子は、とても優しかった

小学2年生から卒業までの5年間、私は一人の男の子にずっと片思いをしていた。
初めて同じクラスになったのは2年生の時。最初は、とくに何も意識していなかったが、彼が幾度となくみせるやさしさに、あっという間に好きになってしまったのを覚えている。

席替えで隣の席になると、必ず帰りの会の前に、廊下から私のランドセルを取ってきてくれる。
学校の行事で、焼き芋大会をしたときは、熱々のさつまいもを半分に折って私にくれた。「おいしいね」と言いながら、一本の焼き芋をわけあった時間は、子どもながらに心に残る甘い時間だった。

3年生になると別々のクラスになり、接点を失ってしまったが、4年生でまた同じクラスになった。彼は相変わらずやさしかった。おまけに足も速かった。彼に思いを寄せる女の子は、多くいたと思う。
それでも来るバレンタインの日を、何もせずにただ過ごすわけにはいかなかった。「バレンタインの日にチョコを渡そう」と心に決めた。

練習までして用意したバレンタイン。アクシデントで渡せなかった

母に相談して選んだレシピはフォンダンショコラ。丸く、小さなそのケーキは、食べる際にフォークなどで割ると、中からチョコレートがとろっと溶けだしてくる、当時の私がつくるには難易度が高いものだった。
バレンタインの2週間前から準備をはじめ、練習で試作をつくった。母のフォローもあり、なかなかの出来栄え。バレンタイン前日の本番でもうまく調理が進み、ラッピングも済んで、後は翌日彼に渡すだけとなった。
前夜、どんな気持ちだったかはもう思い出せないが、きっとどきどきしながら過ごしていたと思う。

ついに朝がきてバレンタイン当日になった。意を決して学校へと向かう。
「いつ渡せるかな、放課後かな……」と考えながら教室に入ると、彼の姿はなかった。そのまま朝の会の時刻となり、担任の先生から彼がインフルエンザに罹患したため、しばらく学校を休むと知らされた。
もちろん練習までしてつくったフォンダンショコラは、彼が戻ってくる頃まで日持ちしない。私は改めてつくって渡すことに決めて、用意していたフォンダンショコラを自分で食べた。

彼が学校を休みはじめてから1週間が経ち、久しぶりに登校することになった。私にまたチャンスがやってきたのだ。
もはや作り慣れ始めていたフォンダンショコラを再度つくり、バレンタインギフトを用意した。

しかし、私はまたしても彼にバレンタインを渡すことができなかった。今度は自分が、インフルエンザに罹患してしまったのだ。
さすがに諦めるしかなく、私のバレンタインは何も伝えられないまま虚しく終わってしまった。

またしても伝えられなかった2年越しの思いは、心の中にとっておく

その後、5年生でまた別々のクラスになり、6年生で同じクラスになった。
小学校を卒業したら、私は学区内の中学ではなく、まちを離れた中学校に行くのが決まっていたので、もう同じ学校に通うことはできない。

「最後の年こそ、彼にバレンタインを渡したい」
今度は自分一人の力で、ビスケットをチョコレートでコーティングして、かわいいマグカップに入れてラッピングしたバレンタインギフトを用意した。
学校ではどうしても渡すタイミングがなかったため、彼の家に直接届けることにした。
心臓が飛び出そうなほど緊張しながら玄関のチャイムを押す。なんて言って渡すかは考えておらず、そのときの自分に任せるつもりだった。

ドアを開けてくれたのは、彼のお母さんだった。彼は習い事で不在だった。
どうしよう、お母さんに渡してもらおうか……と悩んでいたら、お母さんの後ろから彼の妹がひょっこり顔を出した。
歳が離れていてまだ小さい妹をみたとき、私はとっさに「○○ちゃんにどうぞ」と、もってきたギフトを差し出した。「ありがとう」とかわいらしい笑顔に見送られながら、私は足早にその場を後にした。

その後、ホワイトデーに彼からキャラクターものの文房具をもらったが、結局私の思いは届けられないまま、終わってしまった。
小学校を卒業してからは一度も会う機会がなく、大人になった今も会ったことはないし、今後会うこともないだろう。

何度もバレンタインを渡せなかったこと、その後違う学校に通ったこと、そして今も一度も会う機会がないこと。大人になったいま振り返るとすべて運命だったのだと思う。
叶わなかった恋だけど、懐かしいバレンタインの思い出として、心の中にとっておく。