新卒で現職に就いてからはや6年。もうすぐどの学生時代よりも長く在籍した場所になるんだなと、春先にぼんやり考えたのを覚えている。
ランドセルが取れるとはいえ、まだ義務教育の範疇の年数だなあと母校の制服を思い浮かべなどもした。「仕事とわたしの関係」と問われれば、まあ悪くないです程度の距離感だ。

そんな私が2か月の休職に至ったのは、2022年が明けて間もない日の話だ。
28歳冬。初めての精神科受診。「うつ状態」の診断書も、4000円をこえる診察代も人生初だった。
すぐ辞める道もあったのかもしれないが、自分が自分でないような状態で何かを決めるのは、ひどく恐ろしかった。

仕事は推しに会うための費用を稼ぐための手段だと思っていたけど…

私の生活のメインは間違いなく趣味である。自他ともに多趣味との評価をしている程度には趣味で忙しい人生だ。マンガ、ゲーム、舞台、ダンス、イラストを描くこと、最愛の妹にちょっかいを出すのも趣味と言えるかもしれない。
どのジャンルにおいても「推し」のいる私にとって、グッズ購入やチケット代などの出費(いわゆる課金)は切っても切れない存在で、大好きなテーマパーク通いたさに最寄りで一人暮らししている家賃は、その最たるものである。
仕事は、その費用を稼ぐための手段に過ぎないと思っていたのだが、突如、人生の夏休みを手に入れてしまって、私は安心するとともにゾッとした。

やりたいことが何にも思い浮かばないのである。せめて外出はしようと思っても、家から5分のパークより、10分かかる図書館に通う方が楽な精神状態になっていた。
誰かに会うのも億劫だった。すべてのことのカロリーが高くて、常に心が胃もたれしているような感覚だった。

呆然の夏休み開始から1週間。その通知はきた。応援している駆け出しの舞台役者からのTwitter投稿だった。
1年ほど通い詰めていた作品の出演者なのだが、コロナ禍の煽りでその劇場が閉じて以来、直に目にしていない推しだ。その彼が、約1年半ぶりに立つ舞台の初日を知らせる内容だった。
出演が決定した旧年中こそはしゃいだ私だったが、日々の業務に追われてチケットは取っていなかった。しかも劇場が遠い。
ふーん、当日券あるんだ。通うのに慣れてきた図書館でいいねとリツイートをして、「見に行きます!」というファンたちのリプライを横目に見ていた。

2時間近くもかけて劇場に行ったあの日。私は「好きな私」を知った

結論から言う。推しが最高だった。大好きな体捌きも、柔らかく伸びる声も、見事に進化して輝く推しがいた。
なぜあの日、2時間近くもかけて劇場に向かえたのかは、いまだにわかっていない。けれど、好きなことにはまっしぐらに打ち込んでいける私が、私は好きだ。
手元に残ったチケットの半券たちで自分を仰いでみてはじめて、自分を取り戻せたような気がした。

健やかになった精神で私が考えたのは「推し(好きなこと)に課金したいな」ということである。
仕事の都合に左右されず推しを追いかけたいし、頑張った分はお金がほしい。ただそこには以前と大きく違い、「私って何になりたいんだろう」という疑問がくっついていた。
ランドセルを背負っていた私が、制服を着ていた私がなりたかったものは、いつ捨てたんだっけ?

提出する夏休みの宿題の答えは「理想の自分になるために仕事をする」

休職直前に達成できたプロジェクトがあった。本来ならば私の担当外だったが、得意のイラストを活かせる内容で、企画提案からデザイン、アンケート調査、広報までメインとして携われたプロジェクトだった。
この取組を高く評価してくださったアドバイザーからもらった言葉が、ずっと胸の内で輝いている。
「仕事はつまんないから、自分の好きな方に寄せちゃうんだよ」と。

実際、自分が好きで得意な分野での業務だったので、作業自体のストレスは全くなかったことに、今更ながら気づいた。むしろ、仕事で絵を描く経験は、昔の夢を叶えたようで誇らしさすらあった。

仕事と趣味は相反するものだと思って生きてきた。けれど勤務時間を縮めるのは難しいし、その時間は生活の大きな割合をしめてしまう。ありがたいことにたくさんの「好き」を知っている私には、仕事の合間に好きなことをこなすだけでは人生が足りなさそうだ。
なりたい私に近づくために、仕事を使う。それが私が提出する、夏休みの宿題の答えだ。