人はどこまでいってもひとりだというのに、孤独への恐怖から逃れられない。
SNSの依存をやめられない。気になる人のアカウントを1日に何回も開いて見てしまうし、自分の投稿につくいいねの数ばかり気にしている。
最近、自分が人よりも人との距離が近いことに気付いた。
同性・異性問わず、私と関わった人は全員私のものにしたくなる。独占欲が強く、すぐ嫉妬してしまう。友人が私の知らない誰かと遊んでいる投稿を見るたびにモヤモヤする。
無駄な感情だと分かっているのに、SNSを見すぎなきゃいいことは分かっているのに、やめられない。依存体質なんだと思う。

心を守りたい時、ひたすら映画や本の世界に入り込んで現実逃避

どんなに近い人であっても、それが家族や恋人であっても、相手の気持ちをそっくりそのまま分かることはできない。自分自身の気持ちさえすべてを分かることはできないのだから。頭では嫌というほど分かっている。
布団の上でスマホばかり眺めて、メンタルがどうしようもなくなって叫びだしたくなったとき、私はひたすら映画や本の世界に入り込む。こうなったら、現実世界から距離を置くほか心を守る方法はない。
現実逃避は生きている間しかできないと思ったら、全力で現実逃避したくなる。
映画や本の世界で得た教養は、肥料となり水となり、心を耕してくれる。心が豊かさを持ったときこの寂しさは消え、他人のことなんて気にせずに自分という存在をちゃんと分かって、ひとりの力で立つことができるのではないかと思う。
頭では分かっていても心がコントロールできなくて困っているのだから、SNS依存はすぐにはやめられないのだろう。だから、いつか心が楽になるまで、己を耕し続けたい。

悠々とそびえる木や、粛々と流れる川のように、動じない心を持ちたい

まだ未熟な私でも、ひとりを心の底から楽しめる場所がある。それは、温泉だ。
雄大な自然に囲まれながら浸かる露天風呂がたまらない。ひとりきりでお湯に浸かり、自分が自然に溶け込み境界線が曖昧になっていくのを感じながら、頭を空っぽにする時間が大好きだ。
雄大な自然を前にお湯に浸かっていると、自分という存在の小ささを嫌でも感じさせられる。自然は時に厳しく、時に癒しをもたらし、何年経っても変わらずにその姿を私達に見せてくれる。自然は、はじめから孤独だということを分かっている。だからあんなにも清々しく力強く、私達を惹きつける。

インターネットが発達し、私達が触れる情報量は昔に比べて圧倒的に増えた。疲れるのも、まわりが気になってしまうのも、無理はない。目まぐるしい時代の中で、流されないように自分を保ち続けることは難しい。せっかく耕した土地も、思わぬ災害によって荒らされることもある。
それでも腐らずに、自分を保ち続けていたいと思う。私はまだまだ未熟で、周りが気になって仕方がないし、ひとりで堂々としていられない弱い人間だ。けれど悠々とそびえたつ木のように、粛々と流れる川のように、動じない心を持ちたい。 

私は、澪由という名前をつけてもらった。「澪」は水の流れ、「由」は中心をあらわす。水の流れのように変わりゆく世の中に順応しつつ、大事な核はぶれずに生きてほしいという願いが込められている。
名前に見合う人間になることが、私の一生の課題である。