口数の少ない祖父と、帰り際に静かな静かなハイタッチ
おしゃべりな祖母とは対照的に、祖父は口数の少ない人だった。
何か月に一度か家を訪ねても、祖母を中心にたわいもない話で賑わうテーブルを尻目に、いつも同じ姿勢で窓際のチェアに座って新聞か本を読んでばかり。
一緒にテーブルを囲むのは、祖父の好物のちょっといいところのきんつばを、私たちがお土産に持ってきて、みんなで食べるときくらいだっただろうか。
せっかく来たのにそんなだから、ほとんど祖父と会話することはなく、気が付いたら陽が落ちてしまっていて帰る時間になるのだった。
でもその帰り際、父と母と私が乗った車を見送りに来てくれるとき、発車の前に窓を開けると、祖父はきまってそっと手のひらをこちらに向けてくれるのだった。私は手のひらを重ね返して、静かな静かなハイタッチをする。
分厚い眼鏡の奥からこっちを見て、ひとことだけ、「それじゃあ、また」と祖父が言う。
これが私と祖父との、小さいころからの暗黙のルーティンだった。
小さくなった祖父。父が声を出して泣く姿を初めて見た
そんな祖父が昨秋、亡くなった。
私は春から新しい土地で大学生活を始めており、地元を離れたタイミングでの出来事だった。
祖父は春の終わりに自転車で転倒したのに加え、もともとの持病が悪化していたらしく、夏からは入院を余儀なくされていた。
コロナ禍ということもあり、家族ですら面会に行けなかった。
生まれてこの方、私は身内の死というものに直面したことがなく、それを知らせる電話を受けても携帯を握りしめたまま呆然とすることしかできなかった。
看護師さんによると、特に状態が急変することもなく、その日もしっかり朝食をとったそうだ。それが、部屋を出て病室に誰もいなくなった一瞬のうちに、そっと息を引き取ったらしい。
「それも親父らしいといえば親父らしい」。身内だけで集まった通夜の後、父がつぶやいていた。火葬場に向かう前に見た祖父は、半年前の記憶の中よりずっとずっと小さかった。
火葬場で、順番が回ってきて、さあというとき、私は初めて父が声をあげて泣く姿をみた。
学校の先生だった祖父は、寡黙ながら好奇心旺盛で、興味のある新聞記事は必ず切り抜き、何冊も新しい本を買って学び続ける人だった。父もその影響で好きなことを探求するようになり、それを仕事にしたくて先生になったらしい。
私も大学で研究みたいなことをしつつ教員免許を取ろうとしているわけだが、幼いころから祖父や父の本棚から気になったタイトルを拝借して読むようになったのが、間違いなくそのきっかけの一つだ。
確かにかわす言葉すら少なかったけれど、父と私にとって祖父の背中はとんでもなく大きいものだったことに、そのときはじめて気が付いた。
いなくなってから分かるなんて。聞いて欲しい話があるよ
おじいちゃん、いなくなってから分かっただなんて遅いよね。
もしもう一度だけ会えるなら、なんで先生を目指そうと思ったのかと、今私がどんなことに興味があってどんなことを研究してるのか、これからしてみようと思ってるのか、新聞読みながらでもいいから聞いてくれないかな。一緒に本屋にも行きたいな。
それで最後に、もう一回だけいつものハイタッチをして、「それじゃあ、また」って言って小さく手を振るんだ。
いつもと同じでも、それが最後だってわかってるのとわかってないのでは全然違うんだから。
この願いが叶うのは、きっと何十年もあとのことなんだろうけど、今わかることは、この世だってあの世だって変わらず、きっと祖父はいまも黙々と、忙しく楽しい日々を送っているのだろうということだ。
やっぱり私はその背中を見ながら、今日も教科書とパソコンを開くのだ。