あなたに会えたら、たくさん謝りたいことがあります。
運転、野菜、写真…何でもこなす多才な祖父
わたしが18歳のときに亡くなった母方の祖父は、何でもこなす多才な人だった。
小さい頃は黄色いタンクローリーを運転しているイメージ、お米や野菜も育てていて、私たちに毎年美味しいお米を送ってくれる。あとビールが好き。
スキーもうまい、らしい。わたしは苦手だったから誘われても行かなかったのでわからない。
今思えば1回でいいから一緒に行けばよかったな。
趣味は一眼レフ、よく天体や白鳥の写真を撮影していた。いつぞや遊びに行ったら部屋の一角に望遠鏡があって心底驚いた。
多彩な祖父と働き者の祖母はバランスがいいのよ、と母が言っていた。
高校を卒業する直前、祖父は急に体調を崩した。なんでも何かの数値が考えられないくらい高くて、起き上がれないらしい。
母は度々お見舞いに足を運んだ。たまにわたしも行くけど、またいつもみたいに元気になるんだろうなと、どこかで思っていた。
それから間もなくして祖父は入院した。病気が見つかったらしい。原因は聞かされていないので未だに知らない。
入院してからお見舞いに行った。わたしのことは知らない人になってしまった。父親のことも、弟のこともわからないと。短期間で忘れ去られてしまったことに悲しくなった。
その日は祖父のカメラでみんなで写真を撮った。これが最後の家族写真だったと後々知る。
悪夢を見て肩が重く、吐き気のする朝。会いに来てくれたんだ
雨が降りそうな厚い雲が空を覆っている。その日の朝、わたしは猛烈に吐きそうだった。目の前で誰かが死ぬ夢。起床後も鮮明に脳裏に残っている。肩も重いし気持ち悪い……。
ご飯も食べられず、通学の電車でも気分は晴れない。夕方まで不調が続いていた。
帰りの電車でわたしは原因を知ることになった。
「じいちゃん、亡くなったって」
弟からの報せ。予期していなかった。心づもりもなにもできていない。
数ヶ月会えてないから、週末に行くから、そういってどこか祖父の存在をおざなりにしていたのかもしれない。なんてひどい人間なのだろう。
電車を降りたあとの道中、声を押し殺して泣いた。
そして気づく。夢に出てきたのって……。
祖父は会いに来てくれたんだ。夢の中だけど、ちゃんとわたしに会いに来てくれていた。
わたしは祖父のことを何も知らないのに、祖父はわたしのことを気にかけていたのかな。
もっといっぱい学べばよかった。もっと話したかった。20歳になってからビール一緒に飲みたいって言ってたね、わたし初孫だもんね。
あなたにもっと会えていたら、こんなに後悔はなかった。
5年近く経った今でも悔いるくらい。
ごめんね、おじいちゃん
遺品のレンズをもらい、写真が趣味に。星も好きになったよ
そこからはあっという間で、報せを受けた次の日には祖父のもとに行った。火葬まで祖父の顔は見れなかったけど、最後にお墓を訪ねたときにやっと会いに来れてよかったと、ホッとできたのを覚えている。
そのときにはもう吐き気もなくなっており、肩も軽くなっていた。もしかしたら夢だけでなく現実にも会いに来てたのかも……なんて気づいたのは全て終えたあとだった。
祖父が亡くなってから、わたしは一眼レフを趣味にした。遺品として処分する予定だったレンズを3本もらい、そのレンズが使えるカメラ本体を購入した。
20歳前にして大きな買い物。後悔していない。祖父に寄り添う第一歩を踏めた気がした。技術はまだまだだけど、撮る楽しさは感じられる。
もう一つの変化は天体が好きになった。冬の空は星がきれいに見えるぞ、と祖父が言っていたことがわかる。
澄んだ寒さにきれいに星が輝いていて素敵だ。好きな季節と聞かれたら冬と答えるだろう。
祖父の死後にいろいろ気づく自分に、今ではなぜもっと早く教わらなかったのだろうという後悔と話せなくてごめんね、と謝りたいこともたくさんある。それでも祖父のおかげで好きになったものもあって、今は素直に感謝を伝えられる気がする。
今度会えたら一緒にお酒でもどうですか、わたしもう25になりますので。
楽しみにしてます。ありがとう。