夏の日差しが弱まり風に少し肌寒さを感じ、羽織るものを収納ボックスのすきまから引っ張り出す。目を閉じて空気を吸い込むと、何となくもの悲しさを感じる。
大学生1年生になって、今まで無頓着だった身だしなみに気を使い始めた。
母親に買い与えられてきた洋服を、自分で散策しバイト代でポチる。Instagramのコスメ特集をスクショして近くのお店に向かう。
見ているだけでかわいくなれるようなコスメ売り場に「金木犀」の文字を見つけたのは、そんな大学1年生の秋のはじめだったと思う。

金木犀の言葉で思い浮かぶ、小学1年生の時に暮らした田舎の風景

私の入学した小学校は、田舎の町の中でもさらに奥にある、あまり生徒がいない学校だった。
同じ団地に住む同級生と歩いてるうちに1人2人と合流し、田んぼのすぐ横をランドセルに覆いかぶさられながらダンジョンのように進み、坂道を登ると私たちの小学校が待っていた。
授業、給食、掃除、授業。ともだちに囲まれてあっという間にその日の学校生活を終え、放課後になる。上級生に占領される校庭を後に、朝来た道を帰る。
ランドセルも手提げ袋も玄関に投げて、集合場所も決めてないのに自然とまた集まっていた。団地の駐車場、近くの公園、車が滅多に来ない道路、探検で開拓した少し遠めの公園(両親に見つからないように行ったが、見つかって叱られた)、どの場所も1年生の私たちには大きく広く新鮮なものに見えて、日が暮れてしまうのが毎日惜しかった。

気になる不思議なあの子が拾い集めた、オレンジ色の小さな粒

彼はそんなダンジョンの一員だった。
色黒でひらがなもきたない、プリントや連絡帳も親に渡すのを忘れてしまう、そんなガサツな私とは正反対。色白で字も行動もひとつひとつが丁寧な男の子だった。まじめなくせに「道に捨ててある発泡スチロールをもって追いかけてくる」というユニーク(?)な一面もあって、とにかく不思議な子だった。
興味があった。どの子と遊んでいても、通学していても、勉強していても、彼のことが気になった。

小学生になって初めての秋、登下校道の途中にある空き家から、とても良い香りがすることに気が付いた。下を見るとオレンジ色の小さな粒が道にぽつぽつと落ちていた。その日はなぜか彼と二人きりだった。
初めての香り、初めて見るオレンジ色の粒、そしてなぜか、落ちているその粒を拾って発泡スチロールに集める彼。私はその光景がなんとなく頭に残った。
翌日には雨が降ってしまったのか、オレンジ色の粒が地面を覆っていて、香りも薄れてしまって、昨日の景色は消えてしまっていた。

写真を現像して失恋した。彼は私の特別で、彼の特別は私ではなかった

私たちは小学2年生になった。彼はいなかった。親の都合というもので1年生の終わりに引っ越してしまったのだ。
彼がいる最後の日も、みんなで学校に行った。彼はクラスメイト全員にきれいなひらがなで書かれた手紙とハンカチをくれた。
「いっしょにあそんでくれてありがとう」。みんなと同じ文章だった。団地に帰ってきてダンジョンメンバーで写真を撮った。
彼は私の隣、現像してみて、逆隣の女の子と彼が手をつないでいたことに気づいた。

あのオレンジの粒が金木犀という名前の花と知ったのは、引っ越すことが決まった小学3年生の秋のことだった。1人で金木犀の香りに当時の、私だけが知っているあの景色を思う。
彼は、私の初恋だった。初恋に気づいて、そして私は初めて失恋した。
その次の春、私もあの地を離れた。住んでいた家にも、勿論あの場所にも、引越ししてから戻っていない。彼とも会っていない。

思い出の中の金木犀の香りは、香水の中には見つけられないけれど

「金木犀」、あの日母が教えてくれた花の名前。彼がいたあの景色を彩り香りづけてくれたオレンジ色の粒。
彼はあの日見た景色を覚えているのだろうか。あの粒は金木犀という花だと知っているのだろうか。
もし今彼に会えたなら、私は彼に初恋を伝えることができるだろうか。

香水のテスターは、どれも女性らしい魅力的な香りがした。でもあの頭に残る思い出の香りはどこにもない。結局私は気に入った金木犀の香水を買った。
戻ることのできない初恋を胸に、新しい香りを身にまとって、新しい秋を迎えた。