医療系に進んだけれど、疑問を感じて違う道に

わたしは他の人と違う道を選んでしまった。
ある程度エリートと呼ばれる道にいた。
医療系の資格を得て、食べていくには困らない職業になれる大学を選んでいた。
だけども、勉強すればするほど、今の医療が人に対してしているものが本当に人のためになるものなのか、わからなくなってしまった。
対症療法は古来、戦場で使ったものだ。
なので、即時的には効くけれど、慢性のものにはただお薬を使い続ける今の医療の現状はどうかと思う。
卒業はしたものの、学生の頃の友達とは全然違う道にいる。
伝統医療、自然療法を仕事にして学んでいる。

友人たちは正社員としてエリートな道を歩んでいる一方、わたしはパートで、給料も安く、重労働だ。
あれだけ勉強してきたのに、努力してきたのに、我慢してきたのに、割に合わない!など働き始めの時は心の声がうるさかった。
でも働きながら、お客様のお話を聞くのは世界が広がるし、自然療法を学んでこれからどんなことができるのか考えるのが楽しい。
何より、自分や家族に自然のものを試してみて、効果があると実感している。

社会に対して何ができるのか、を考えながら仕事をしている

仕事は、時々忙しすぎて、しんどいこともある。
他の人と違う道を選んで、わたしはこれから食べていけるんだろうか、と悩むこともある。
だけど、楽しくて、やってみたいと思うのなら、これがわたしの好きな仕事なんだろう。

仕事でお金を得ていくことはもちろん必要だ。
だけどそれ以上に、自分がこれから社会に対して、何ができるのか、学んでいく場でもあると思う。

働き始めた頃は、自分と周りの友達を比べていたのと、したことのないお仕事で、劣等感や緊張感でガチガチだった。
だけど、働いている最中に、わたし、お金にも特に困っていないし、このお仕事楽しいし、自分で選んだのに何を心配してたんだろう?とふと緩んだことがある。

周りの価値観や固定概念も、その人の人生観においては正しいのだろう。
けれどもやっぱり自分の人生は自分のものだし、昨年のわたしは今のわたしが何の仕事をしているのかすらも想像がつかなかった。
これからも今のわたしには想像のつかないような仕事を、未来のわたしはしているのだろう。

心も身体も悲鳴を上げている人たちが、幸せに生きていけるように

そうして、いつかは今の医療にはできない、人の心と身体をみること、日常的に整えることを仕事にできたらな、と思う。
今の社会人は、日々に忙殺されて、心も身体も悲鳴を上げている人が多い。
固定概念や社会の常識に押しつぶされそうになっている人たちが多いことが、本当に悲しい。
だからこそ、そういう人たちが、心と身体を整えて、ただその人のままで自立して立っている人を増やしたい。
その人のままで立つとは、外側の付加価値、お金とか肩書とかではなくて、その人そのままで自信があるということ。
ただいるだけで自信がある人たちが自分のしたい仕事をして、それが循環していけば、どんな世界が広がるのか、わたしは見てみたい。

仕事はわたしにまだみたことのない景色を見せてくれるものだ。
それと同時に、社会と繋がって、人と繋がり、自分を表現していくものだ。
心と身体が整って、幸せに生きている人を増やすためなら、わたしは死ぬその時まで働いていたい。
そんな仕事が一生涯続けられるなら、わたしはとても幸せな人間である。