海を見ながら食べたハッピーセット。ばあばちゃんと過ごした思い出
私は生粋のおばあちゃん子ではないが、確かにおばあちゃん子だった。
幼い時、母方の祖母の家で過ごした記憶がかなり残っている。祖母のことを、弟と私は、ばあばちゃんと呼んだ。『あひるのバーバちゃん』という絵本から名づけた。おばあちゃんの名前の枠は、曾祖母で埋まっていたのだ。だから祖母は、ばあばちゃんだった。
母と祖母は、性格が合わなくてよく喧嘩していたのも見たが、弟と私はばあばちゃんと過ごす時間が好きだった。
祖母の手料理で1番好きなものが、にんじんの天ぷら。細切りにしたにんじんをかき揚げのように揚げる天ぷらだった。にんじんの天ぷらを思うと、祖母が天ぷらに新聞紙をひいたことで、母と喧嘩していたのを思い出す。
母は、私たち姉弟をあまりファストフードに連れて行かなかったから、祖母がファストフードに連れて行ってくれたことは思い出深い。
ドライブがてら、少し遠出して海辺のマクドナルドに行くのが定番だった。そして二階席で海を見ながら食べるハッピーセットは、母には内緒の秘密共有みたいで背徳感が堪らなかった。当時は背徳感なんて言葉、知らなかったけど。
孫にとてつもなく甘く、目に入れても痛くないと接してくれる祖母像を想いうかべるが、実際はそうでもなかった。こっぴどく叱られる時も、今日機嫌悪いのかなとイライラしてる時もあった。そういうときは、そっと弟とその場から抜け出した。
かりんとうを一生食べない代わり、の一生の願いごと
歳を重ねると会える機会は減ったが、祖母は私たちが幼少期の頃のままで、私たちを可愛がってくれた。
ある年、祖母の誕生日に、マグカップと祖母の大好物であるかりんとうをプレゼントした。祖母は、マグカップだけ受け取り、かりんとうを返してきた。
「願掛けをしたから、かりんとうは食べられないの。かりんとうを一生食べない代わりに、一生のお願いをしたの」と言葉を添えて。
なんてお願いをしたかは、そのとき私は聞かなかった。お願いが叶っただろう頃を見計らって聞こうと思った。
祖母は癌になった。私の家の近くの大きな病院で、手術をして、通院した。
癌は摘出したが、転移していた。抗がん剤治療をするため入院したり、通院したりを繰り返した。その間、母は通院の送り迎えをしたり、入院した時には毎日お見合いに行っていた。あんなに仲が悪かったのに。
私も時々それについて行った。祖母の夜ご飯の時間に合わせてお見舞いに行くのだ。味気ない病院食を1人で食べるのは寂しすぎるからという母の気遣いだ。
私が一緒について行くと、私の幼少期の頃の話をしてくれた。昔からいい子だった、と私を褒めてくれた。私はそんな祖母に対して、母に連れ立って時々話を聞きに行くくらいしかできなかった。
次にばあばちゃんに会ったら、願いごとが叶ったか聞こう
癌は末期になり、祖母はガリガリになっていった。マクドナルドやかりんとうを食べていた頃のふくよかさは思い出せない。黄疸がひどく、全身黄色ぽくなった。
その頃の祖母は弱々しいというより、言葉を選ばず言うなら人ではないみたいだった。肌の色が悪すぎて怖かった。生きている祖母を見たのはそれが最後だった。
最期を看取ったのは母で、私が見たのは、私が見た最後の姿から数日後、棺の中にいた祖母だった。祖母は化粧をしてもらい、きれいな顔をしていた。小さくなった祖母の横にお花を入れて、お別れをした。六月のはじめだった。
毎年、家族で祖母のお墓参りに祖母の大好物を持って行く。かりんとうを、お供えをする。
お墓参りするたびに思う。願いごとってなんだったんだろう。願いごと叶ったのだろうか。願いが叶ったから、天国ではかりんとう食べれてるだろうか。どうか食べれていますように。
私がばあばちゃんに会ったら、かりんとうのお願いごとを聞こうと思う。