私は数え切れない多くの「ひとりの楽しみ方」を知っている。
好きな映画に集中しながら、美味しいおつまみとワインを嗜む金曜日の夜。
お出かけしよう!と意気込んでいたけれど、翌朝「やっぱり寝よう」と自分を甘やかして気持ちよく眠る休日。
今日は美味しいカレーを食べるぞ!と目的を持って出かけたものの、途中で出会ったラーメン屋さんがあまりに魅力的で突然路線変更するお出かけ。

「私だけ」が「私だけしかいない」になった瞬間、孤独な時間に変わる

どれも1人でしか成立せず、どれも1人だからこそ楽しめる「私だけの時間」だ。
いつ起きても、いつ寝ても、何を食べても、何を食べなくても、何かしても、何かしなくても、全部大丈夫。私はこの「私だけの時間」をとてつもなく愛している。でもたまに。ごくたまに、その時間を呪う時がある。

最近、家の電球が切れた。電球を替えようと思って天井に手を伸ばしたけれど、天井に手が届かなかった。自炊したご飯があまり美味しくなかったけど、それを笑い飛ばしてくれる人はいない。一日中働いてヘロヘロの夜、誰もいない家からは「おかえり」は聞こえない。
何もかも上手くいかなかった日、上手くいかなかったことを誰かに話して少しでも心を軽くしたい。でもその“上手くいかなかったこと”という重い荷物を降ろせる場所など、どこにもない。
その時、突然「ひとり」は「独り」になる。
「私だけの時間」なのに、「私だけしかいない時間」になった瞬間、何にも縛られない自由で心地よい時間は、誰もいなくて寂しくて。まるで世界には自分のことを知っている人など1人もいないような孤独な時間になる。

自分の答えより、「独り」について人から聞き出すのはもっと難しい

私は1人でいたい日もあれば、誰かといたい日もあって、いつか1人で景色のいい場所に住みたいし、いつか誰かと一緒に家を買いたい。毎日好きなものを食べて飲みたいし、誰かと一緒にご飯を作りたい。1人で好きな音楽を好きなだけ聞きたいけど、誰かと一緒に好きな音楽の話をしたい。
1人で生きていきたいけど、誰かと生きていきたい。私はひとりが好きなのか、嫌いなのか。どうやらこの答えをひとりで見つけ出すのは難しいみたいだ。
そしてこの「独り」について、人から聞き出すのはもっと難しい。

「最近、パートナーと上手くいってる?」
「親御さんは、お子さんは元気?」
そういう話はたくさんするけれど、「その年齢まで1人で過ごしていて楽しい?」とは人は聞かない。どんなに「〇〇をひとりでするのは最高!」という話をしても、寂しい人だと思われていないか、誰からも必要とされてないことを誤魔化してるだけだと思われないか、そんなことを心配してしまうから。たとえ心配されたとしても、私から奪われるものなど何もないのに。

「ひとりを楽しむこと」と「独りが寂しい」ことはいつも表裏一体

本当は知りたい。
あなたはひとりを愛していますか?愛せない日はありますか?あなたのひとりの楽しみ方はなんですか?独りが苦しい時の乗り越え方はなんですか?

もしかしたらこの問いに対する誰かの答えは、「ひとり」だけじゃなくて「独り」の中に何かを見つけるきっかけになるかもしれないのに。「ひとりの楽しみ方」だけじゃなくて、「独りの楽しみ方」をもっと気軽にシェアできるようになりたい。
だって、「ひとりを楽しむこと」と「独りが寂しい」ことはいつも表裏一体だから。私たちがいつかもっと「独り」について共有し、交換しあえる場所を探したい。
もっと「ひとり」も「独り」も楽しむために。