真っ黒なスーツに重い鞄を抱え、慣れないパンプスを引きずりながら会社寮がある方向へなんとか体を運ぶ私は、つい30分前の出来事を何度も何度も頭の中で思いだしていた。
「検索したら見つけたよ。この写真、大学生のキミだよね?」
「茶髪もそそるね。ミニスカートもえろい」
「隣に写っている男は彼氏?今も仲良し?体の相性いいの?」
「どんなエッチをしてるの?」
会社の飲み会とはそういうものなのかもしれないと、その場では冷静にニコニコ笑って曖昧に首をかしげながら飲みたくもない烏龍茶を流し込み続けた。ひたすら時が経つことを祈っていた。
怒っていいのかすら分からなかった。
明日からもこの上司達の承認印がなければ私の仕事は進まないし、仕事がなくなり寮を追い出されたらホームレスまっしぐらだ。

時間も場所も遠く離れてから、やっと悲しみが怒りに姿を変えた

お酒の席なんて、そういうものなのかもしれない。
これまでの先輩方も、みんな笑って流してきたのかもしれない。
そもそも入社前にSNSを削除していなかった私が悪いのかもしれない。
もっと自衛していればこんなことにはならなかったんだ。

だんだん悲しくなってきて、もう目の前に寮があるのに一人暗い部屋に帰る気になれず、すぐ横のコンビニにふらふらと吸い寄せられた。
異様なほど明るい照明が、沈んだ心を叩き起こす。
やっぱりおかしいんじゃないか。
いくら会社の人でも、住所録で私の実家を調べて氏名と合わせて検索してSNSを特定し、学生時代の写真を携帯電話に大量保存するのはアウトだし、性的な質問も完全にアウトだ。

もう今さらどうしようもないほど時間も場所も遠く離れてから、やっと悲しみが怒りに姿を変えた。
でも、もう上司達は三次会に行っているし、明日になればあの発言なんてすっかり忘れているだろう。
今さら怒ったところでどうしようもない。やっぱり自衛していなかった私が悪い。お酒の席のノリは笑って受け流してあげなきゃいけないんだ。
悲しみも怒りも、こんな気持ちが沸き上がる私が間違っているんだ。
つらいな。

スーツのまま暗い部屋で膝を抱えて涙を流した、あの日の私に伝えたい

いくら店内を歩き回っても欲しいものが何も思い浮かばず、そのままひっそりコンビニを出た。
スーツのまま、暗い部屋でひとり膝を抱えて涙を流した、あの日の私に伝えたい。
あなたは悪くない。
悪いのは、おかしな言動をとっていた上司達。
お酒の席だから許されるセクハラなんてものはない。
悲しみも怒りも、あなたの気持ちは何も間違っていない。
でも、言われたその場で笑っていたら、喜ばれたと勘違いされエスカレートするよ。
その後も続いて、その度に深く傷つくことになってしまうよ。
自衛をしていなかった自分のせいにする必要はないけれど、これからは自分で自分を守るために何をすべきか、ゆっくり考えていこうね。

部屋の明かりをつけて、温かな紅茶を淹れて、甘いクッキーも添えて、優しく抱きしめて背中をさすりながら伝えてあげたら、どんなに救われたことだろう。
しばらく通勤電車に乗るだけで心臓が苦しくなり、デスクに座る頃には冷や汗で震えていた私はいなかったかもしれない。

娘に自分を守る術を教えることは、命の火を灯し続けた私への恩返し

結婚し、出産し、大切な娘を育てながら願うことはただひとつ、この清らかな天使がどうか笑顔で健やかに生きていてほしい、それだけだ。
それだけなのに、自分の過去の人生を振り返ると、とても難しいことのように思える。

異性からの執着や性的攻撃が、風が吹くように、雨が降るように、ただ生きているだけで意図せず自然と襲いかかってきてしまう。
この先、24時間365日永遠に娘を守り続けることはできないから、どんな不運に見舞われようと心まで深く傷つかないために自分で自分を守る術を、私は娘に少しずつ教えてあげなくてはならない。
それこそが、あの日、消えてしまいそうな命の火をなんとか力を振り絞り灯し続けてくれた私にしてあげられる、精一杯の恩返しだろう。

あなたの経験は、決して無駄なものにはならなかったよ。
あなたの命を、次の世代へバトンタッチできたの。
あなたのおかげで、とても素晴らしい未来が創造されたよ。
大丈夫、ゆっくり顔をあげて。
ありがとう、あの日の私。