朝起きて、スマホを開く。おすすめに出ているニュースを読む。世の中の流れを知ったつもりになる。
大学やバイト先に向かう電車の中でSNSをチェックする。いいねをつけて、人と繋がっているつもりになる。
空き時間に、気になっていた作品を倍速視聴する。ちゃんと見たつもりになる。よくわからなかった部分があった。ネットで調べると誰かが解説や考察を載せている。サクッと読んでわかったつもりになる。
そんな毎日を充実したつもりになって過ごしていた。私はこの「つもり」にあふれた日常を捨てた。
スマホの便利さに頼り切った結果、自分で判断することが少なくなった
スマートフォンは便利だ。自分の好みを学習して、検索サイトは自分好みのニュースを教えてくれるし、動画配信サイトは好みが近い動画を勧めてくれる。
電子書籍サイトでは購入履歴に基づいて好きそうな本を紹介する。さらには、情報も好きなものを選んでくれる。
知りたいことや気になることも検索すればすぐに答えが出る。そして、その答えは私が欲しかった答えなのだ。意見や思想までも何から何まで自分好みの情報を与えてくれる。
その便利さに頼り切った結果、自分で判断するということが限りなくゼロになっていた。いつのまにか、私は自分ひとりでは何かを決めることや考えることができない大人になった。
そう気づいた時には、空っぽな人間がすでにでき上がっていた。
「めんどくさい」を自分で作る。ひとり時間の使い方のMyルール
そんな空っぽな人間になってしまった私は、ひとり時間の使い方のルールを作った。「めんどうくささ」を自分で作ることだ。
最初に取り組んだのは、スマホの画面ロックだ。いつもは指紋認証を利用していて1秒も待たずにホーム画面を開ける。それを少し長めのPINコードに変えてみる。打ち込むのがめんどうくさくてスマホを開く回数が減る。そうしてスマホと距離を置くことに成功した時、私はホッとした。
次に取り組んだのは、書籍。本を選ぶ際、本屋さんに足を運び、好き嫌い関係なくたくさん並ぶ本の中から選ぶ。
そして、なぜ、数ある本の中からこの本を選んだのか、なぜこの本は選ばなかったのか、考える。自分の中の判断基準を改めて知ることができた。私は自分で判断することの楽しさを思い出した。
そして、私はニュースを検索サイトのおすすめ欄から読むことをやめた。いつも私好みにピックアップされていたニュースだけでは、世の中の流れを知れていないことに気が付いた。
多くのニュースに触れることで、悲しい気持ち、驚き、無関心など、今までよりも多くの感情が私の中に生まれた。今まで無駄な感情、嫌な感情と思い避けてきたが、不快な感情がまったくない生活というのはつまらないものだと思えるようになった。
めんどうと思っていた「選択や判断」を大切にひとりの時間を過ごす
ひとり時間の過ごし方は、ひとりだからこそ、誰かが指摘してくれないし、自分の充実度を客観視することが難しい。それなりの満足度があるひとり時間を、「あの時よりも今のほうが充実している」「充分満足している」と、悪い方向へ行かないように、現状維持をしようと考えることは容易だ。
しかし、「もっと充実した過ごし方があるかもしれない」と、現状を疑いより良い方向へ考えるきっかけは多くない。
そして、人間はなかなか生活の変化を受け入れられない。だからこそ、「つもり」にあふれた日常を捨て、ひとり時間のマイルールを作ったことは私の中でとても価値のあることだと思う。
めんどうくさいと思っていた選択や判断、不快な気持ちを感じることは、人間としての充実度を高めてくれる。空っぽだった私を埋めてくれる。
私はそんな「めんどうくささ」を大切に、充実したひとり時間を過ごそうと思う。