大人になって、昔よりも学びたい気持ちが強くなった。
子供のころ、大人が皆口を揃えて言っていたこと。
「今のうちにたくさん勉強しておきなさい。大人になったら、学びたくても簡単には学べないから」
その意味を実感するステージに、今まさに自分が立っていることに気が付いた。

学生時代はいわゆる優等生で、「頭良い子」というポジションだった

大人になって仕事をし始めて、色々な人と関わりを持ち、話をしていると、「自分ってなんにも知らないんだなあ」と感じることがよくある。

学生時代の私はいわゆる優等生で、勉強もよくしたし、学校の成績もよかった。
同級生の中では「頭良い子」ポジションだったし、担任の先生にとっても反抗せずに勉強して、テストで点を取ってくるから「手のかからない生徒」ポジションだったと思う。

勉強はすごく嫌いではなかったけど、別に好きでもなかった。成績が悪いと進級とか進学とかに困るのが嫌だったし、なんとなく「頭悪い」ポジションに自分がいくのは嫌だったから、試験前だけはきっちり勉強してそれなりの点数を取っていた。
でも、それは決して自分の肥やしにするための勉強ではなくて、あくまでも「点数を稼ぐため」の勉強。
だから、あんなに勉強した歴史も英語も、今はもうほとんど覚えていない。

点数を取るためではなくて、知識や知恵を自分のために学びたいけど

ニュースを見てても世界情勢はよく分からないし政治の話なんてさっぱりだし、電車や街中で外国人に声を掛けられてもろくに受け答えも出来ない。
私と真逆にそれが出来る人をみると「大人だなあ、カッコイイなあ」と思う反面、なんだかすごく自分が情けなくて恥ずかしくなる。
あの時の「頭良い子」ポジションだった私、どこにいったんだろう?
いや違う。少し要領が良かっただけで、最初から「頭良い子」ではなかったのだ。

大人になって、自分の無力さや無能さを痛感して、もっと勉強したいと感じるようになった。
点数を取るためではなくて、きちんと知識や知恵を自分の中に落とし込むために学びたい。

でも、大人になるとそう簡単にはいかない。

義務教育じゃないから、タダでは学べない。
そのうえ、食っていくために働く時間も必要だ。
一日のうち5時間も6時間も勉強に費やすことは出来ない。
しぶしぶ机に向かっていたあの時間は、もう簡単には取り戻せないのだ。
「強することが仕事」だなんて、学生ってなんて恵まれていたんだろう。

あの時大人が皆して言っていた「大人になると簡単には学べない」は、こういうことだったのか……。

「知識とお金はいくらでも持っておけ」の意味が、社会に出て分かった

そういえば、幼い頃に父がよく言っていた。
「知識とお金だけはいくらでも持っておけ。いくらあっても邪魔にはならない」って。
父の言葉の意味が、自分も大人になって社会に出たことでようやく分かった。

父は若い頃はヤンチャだったようで、学生時代は勉強なんて絶対にしていないし、高学歴でもない。けど、幼い頃の記憶を辿ると、父はよく本屋に行っていたし、部屋にはたくさんの本があった気がする。
きっと大人になってから後悔したことや、なにか苦い経験があったんだろう。
「誕生日とクリスマス以外はお小遣いでやりくりしなさい」と言っていた母も、本だけは無条件に買ってくれた。当時の私は活字が苦手で、本をねだることはほとんどなかったが、今考えるとすごくもったいないことをしたと思う。

もし今、勉強嫌いな若い子に出会ったら私も父と同じセリフを口にするだろうし、もし今、神様が大金と長期の休みを私にくれるなら遊んでなんかいられない。
生きていくための勉強に時間もお金も費やすだろう。

大人になって本当に欲しくなったものは、学ぶお金と時間だった。