私が夢中になれることは、大体が「ひとり」で楽しめることだった

「みどりちゃんはこの3年間、ずーっとひとりで遊んでいましたよ」
卒園式の日、幼稚園の先生は母に伝えた。母はただただ驚き、同時に「そんな大事なこと、なんでもっと早く言ってくれなかったのか」と思ったそうだ。
20代に入って初めてそのエピソードを聞かされたとき、わたしは腹をかかえて笑った。そして同時に、これまでの人生とつじつまが合い、妙な安堵感を覚えた。
「やっぱり」
「わたしのコレは生まれつきだったのか」

良くも悪くも人に対して興味が薄く、いつも、ついつい自分の世界に没頭してしまうのだ。
四半世紀以上生きてみて振り返れば、「絵を描くこと」「走ること」「本を読むこと」そして、こうして「文章を書くこと」。夢中になれることは、すべて「ひとり」で行うものばかりだった。

「大人数は苦手。ひとりでいるほうが気楽でいい」という弊害

中学生時代、絵は毎年賞を貰い、マラソン大会は3連覇であった。
所属していたテニス部でも、監督に「ダブルス」はどうしても向かないと判断され、3年間「シングル」で戦い抜いた。

周りの人々や友達がキライだったわけでは決してない。
むしろ「人」のことは、好きな方だったと思う。友達もいたし、みんなとそこそこ仲もよかった。ただ、自分の世界の中が、どうしても面白すぎたのだ。みんなはみんなで好きにやればいい、わたしもそうするから、そう思っていた。

そんなこんなで、浮いているけど、かといっていじめの対象にもならないわたしは、不思議な存在だったのだろう。
同級生女子の色恋沙汰にもまったく関与していないので、何の派閥にも属しておらず、敵でも味方でもないので、恋愛相談をするにはある意味一番「無害」な存在として、一時期は女子7人からそれぞれ個別に交換ノートのやり取りをお願いされたこともある。全員の相談に目を通し、次の週までに返事を書いた。

高校・大学と進んでも「大人数が苦手」で「ひとりが気楽」というのは、基本的に変わらなかった。しかし大人になればなるほど、それは弊害となっていった。
人の家で集まってどれだけ盛り上がっていても、しばらくすると猛烈に帰宅したくなるし、仲良しの友達と2人で出かけていても、後半は気を失いそうになるくらい疲れてしまう。
今思えば、最近よく聞く「HSP」や「ADHD」やらの類いも、少し混ざっていたのかもしれない。

「ひとりが好き」がコンプレックスに変わる。自分のなかの「欠落」

なんで自分はこうなんだろう。どうしてみんなは上手くできるのだろう。
「ひとりが好き」であることは、徐々にコンプレックスとなっていった。
極めつけは、新卒で入社した会社で上司に言われた一言だ。
「君は人に興味がないところが、ダメだ」
入社1年が経ったころ行われた、昇給を決める面談でこう言われた。
びっくりした。自分が人に興味ないことが、会社にとって「マイナス」で「不利益」だということに驚いた。自分の振る舞いがどうして人に迷惑をかけるのか分からなかった。

しかし、社員である以上は周りとコミュニケーションをとり、社内のやり取りを円滑にすることが、仕事を進める上で重要なことであったようだ(そりゃそうだ)。

その面談後、わたしは昇給しなかった。
本格的に自分に自信をなくしてしまった。
自分には何か絶対に「欠陥」があるのだと、信じて疑わなかった。成長の過程で何かが歪んだ?欠落した?みんなにはあるのに、わたしはずっと手に入れられないものがあるのか?

「欠落」なんてしていない。「ひとりの時間」を楽しんでいい

行き詰まったわたしは実家の母に相談した。
そこで、先述の幼稚園時代の話を、笑い半分呆れ半分に話されたということだ。
他の子達と群れることなく、ひとりもくもくと庭遊びに夢中になっている幼き日のわたしを想像する。人にどう思われるかなんて何も考えることなく、ただただ目の前の遊びがたのしくてしょうがない、自分の世界が大好きな無邪気な女の子。
わたしは、途端に自分が愛しくなった。

一枚の紙の中に線を重ね、世界を描いていくことの喜び、その身一つでただ風を切り走り抜けていく爽快さ、そして文章の魅力を追いかけ創造の世界に没頭する素晴らしさ。
すべて、わたしが自分自身で探し求め、出会うことのできたものたちばかりだ。
そんなことに気付かされ、わたしは、少し自分に感謝した。

あなたは屈折していたんじゃない、欠落していたんじゃない。
ただただ生まれ持ったままに、自分の大事なものをずーっと抱きしめていただけなんだね。人とは少し違うペースで。

そう考えられるようになってから、わたしの中のコンプレックスは徐々にほどけ、前向きな気持ちが戻ってきた。もちろん人との関係もおろそかにしないように、自分なりに大切にしながら、引き続き、「ひとりの時間」を楽しもうと思えるようになった。

時間を巻き戻して、幼い日のわたしが教えてくれたから。
夢中になって飛び込める、自分だけの世界を持つことの素晴らしさを。