女性なら誰しも綺麗になりたい、綺麗でいたいと、一度はその人生で思うのではないか。
私のそんな思いはたった16歳にして無残にもかき消された。
さぁ、これから楽しい楽しいJKライフの始まりだ!!と入学した高校1年生の夏、私は交通事故にあった。
不幸中の幸いなのか、それとも何かの罰なのか。身体はかすり傷程度だったのに、顔には10針以上縫う傷が出来た。
絶望した。どうして私なのか?私が何をしたというのか?ドラマでしか聞いたことない台詞が頭に浮かんだ。
女は容姿が全て。もちろん中身も大切だが、綺麗な人とそうでない人であれば綺麗な人がいいし、可愛い子かそうでない子であれば可愛い子がいい。女に生まれたからこそそう思うのはごく自然なことではないか?そして、その象徴として顔は重要である。
人と人とがコミュニケーションを取る際、目を合わせて話すように、1番に目がいくのは顔。それなのに顔に傷だなんて女としての人生は終わったも同然。
気安く口にしてはいけないが、死んだほうがましだったと思ったほど、16歳の私にはあまりにも残酷な現実だった。
失ったものもあるけれど、メイクをすることで乗り越えられた
だが、私の回復力は凄まじかった。
顔中ガーゼやテープだらけなのを隠すためにずっとマスクを着用、当時はまだ今のような世界情勢ではなかったため、誰1人としてマスクを着けいていない中、私1人だけがずっとマスク生活。
恐らく周りから見るとかなり悲惨な状態だったにも関わらず、私は高校生活を誰よりも全力で楽しんだ自信がある。特に学校行事が大好きだったため、誰よりもはしゃいだ。
今思い返しても、なぜあんなにもポジティブだったのかは自分自身でも分からない。
だがきっと、こんなことで私の人生終わらせてたまるかという謎の闘争心のようなものが生まれたということと、数日で治るようなものではないのなら、この変わらない現実を踏まえて今を楽しむための最善策は吹っ切るしかないと、事故からものの数日で思えた自分を褒めてあげたいと思うほどだ。
それほど当時の私には、自分が楽しみにしていることに対しての妨げになるものが、たとえ自分自身だったとしても、それを許さないほどの思いがあったのだと思う。
傷の治療が終了し、ある程度状態が落ち着いたが、それでも傷はメイクでも完全には隠しきれないものとなった。
二度と元の顔には戻らない、死ぬまでこの傷と共に生きていかなければならない。その時から私の中に1つの気持ちが芽生えた。
「傷跡が消えないのなら、それが気にならないほど美人になればいいんじゃないか」
ここから本格的に美容人生が始まる。元々メイクは好きでしていたが、それは自分のコンプレックスを隠すためにしていたものであり、そこにさらに傷跡という最大の敵が追加された。
自分自身でも意外だった。そのまま堕ちるだけの人生を辿るものだと想像していた。
いや、堕ちなかった訳ではない。しっかりと堕ちた。年齢を重ねれば重ねるほど、実現したい夢に対しての妨げになるものが自分自身で、かつ自分ではどうしようも出来ないという現実を突きつけられた。
なりたかった職業には就けなかった。美容部員のお姉さん達はその人自身が商品にもなるため、傷物はその土台にすら立てない。顔に傷があるということだけ、たったそれだけの事なのに未来の選択肢は削られ、その事実が私を苦しめるには十分だった。
だけれども、私を引き上げてくれたのは大好きなメイクだった。
メイクをするとどんな私にだってなれる、洋服でその時の気分やなりたい自分を表現するように、メイクでも自分を表現出来る。なりたい私にいくらでもなれる。
傷跡を隠すためのメイクではなく、それを武器にする
きっかけこそ「傷跡を隠すこと」を目的としていたが、今ではメイクをすること、美容に関すること、綺麗になれるように努力すること、それ自体に楽しさを見出せるようになった。
メイクは綺麗さや可愛らしさを追及するだけでなく、人の心を救うものにもなる。
傷付いた心と顔はなかったことには出来ないが、もし自分と同じように心を痛めるような出来事で辛い思いを抱えている人がいるならば、何かの役に立てればと思う。
正直なところ、心の内を表に出したところで良いことはないと思い避けてきたが、私と似たような思いを抱えている人がいるならば、一度言葉にして出してみようと思いこの文章を書くことを決めた。
私が美容という最強の武器を手に入れたように、一度失った人生を改めて楽しむ方法はそれぞれに合ったものが必ずあるはず。それを見つけることが出来た私は今、幸せだ。
叶わなかった思いがある分、私なりの美容に対する関わり方が出来ると探している途中でもあり、私は死ぬまで美しくなることに対して妥協しない。