人付き合いが苦手で、学校生活でも友人を作ることができなかった

世界は愛に満ちているなんて誰が言っただろうか。無条件に私を受け入れてくれる人なんていないと、1年前までずっと思っていた。

小さな頃から長女として家族の愛を一身に受けてきた、と周りは皆そう言うが、正直私には愛された記憶よりも、躾という名の心と体への暴力の傷跡のほうが勝っている。
自分は良い子でいなくてはならない、そうしなければ「愛」してもらえない。
そのように思い込んでまで、自分の居場所を作り出すことに必死だった。

人付き合いが苦手な私は、学校生活でも友人を作ることができなかった。
どこかのグループに所属していなければいけないという思い込みと周囲の目を過度に気にする性格のせいで、いろんなグループを渡り歩いてはなんとかその場にいさせてもらっているような状態が続いた。

友人と呼べる関係の人に囲まれた。それも大学の4年間限定だった

担任も苦労したことだろう。忘れられないのは高校2年生の修学旅行の夜。夜間外出は3名以上というルールがあったが、私にはもちろん一緒に行ってくれる友人はいなかった。同じグループのメンバーには知らないうちに置いて行かれた。哀れに感じたであろう担任が、これから出発するという顔なじみの子のグループに、私も一緒に連れて行くよう行ってくれたが、その頼みはむげ無く断られた。

このような幼少期と学生時代を経て、大学に入ってからの解放感は素晴らしいものだった。実家住まいではあったが、学業とバイトとインターンに精を出したためほぼ居着かず、大学でも友人と呼べるような関係の人たちに囲まれた。

しかしそれは大学の4年間限定のものだったことに、社会にでた今、気づかされた。
あの頃に戻ることはもう無い。あの頃の友人たちも9割以上が疎遠。会社の中の人間関係の渦に再び巻き込まれ、実家の干渉も止まることを知らない。幼少期からの生きづらさはADHDにあると発覚し、それを伝えた実家からは普通の人間ではない、とまで言われとうとう家を出た。
愛とは無縁の、孤立した人生を送ってきた。

素を出させてくれ、無条件にそれを許してくれる彼と結婚する

1年前、職場のある男性と非常に話が弾んだ。だが年下の男性と一時話が盛り上がることなどよくあることだったため、さして気にとめなかった。その男性はその後も何度も話をしようと声をかけてきて、話の内容も価値観がよく似ていると感じるものであった。
そして私たちは勢いで付き合うことになり、今年結婚する。

なぜ私だったのか。そしてなぜ私は彼を選んだのか。お互いによく話すのは、「その理由はわからない」ということだ。どこが好きか聞かれても返答に困るような、今までの恋愛や人間関係を超えた、どこかわかり合える存在、それが彼であり、彼にとっての私であった。
そんな人と出会うとは夢にも思っていなかった。良い子でいなくてはいけない、仲間はずれにされないようにしなければいけないと思い必死に努力をしてきた私に、素を出させてくれ、無条件にそれを許してくれる。どんな自分であっても良いといってくれる存在。彼のおかげで、私は自分に少しずつ自信を持てるようになってきた。

正直なところ、愛にも条件つきの愛があるのではないか、と思っており、無条件の愛など存在するのだろうかと今も疑問に思っている。だから私が愛されるためには条件が必要なのではないか、なぜ無条件に愛してくれるのかわからない、と。
しかし、それを話せばすぐに「そう思っているうちはまだまだだね」と彼から言われてしまう。私はまだ愛について勉強中の身であるようだ。

世の中にはいろいろな愛の形があり、それぞれが愛し愛され生きているのではないかと思うが、過去の私のように愛に飢える人にも伝えたい。あなたを愛する人はいて、愛されることで自分が強くなることができるということ。そして同時に私たち自身も誰かを愛することができるということ。
その日は急にやってくる。