推しているバンドのツアー開催が発表された。さぁ、どこへ行こう。
住んでいる場所から行きやすく、土日開催の場所が仙台だった。
仙台。まだ訪れたことのなかったその土地には、思い当たる節があった。

大学時代の憧れの先輩と、初めて会った日の衝撃は今でも覚えている

大学時代に働いていたアルバイト先に、好きな先輩がいた。「好き」といっても、恋愛対象というより、「憧れ」や「推し」という感覚に近かった。
先輩はモデルみたいに華奢で背が高く、整った顔立ちをしていた。初めて会った日の衝撃は今でもよく覚えている。
こんなにイケメンなのだからさぞかし遊んでいるのだろうと思いきや、どちらかというと友達は少なめで、彼女とは長続きする、控えめなタイプだった。そんなところも推しポイントだった。
先輩とシフトが被る日はいつもよりきちんとメイクをしたし、少しでも会話ができたらその日は一日中浮かれて過ごした。

先輩は大学4年生の半ば頃、既に内定をもらっていた就職先でアルバイトをすることになり、店を辞めた。
先輩とはそれ以降会うことはなかったが、他のスタッフから仙台支店に配属になったことを聞いた。遠い東北の地に思いを馳せながら、私は残りの学生生活を先輩なしで過ごしたのだった。

まさかの誘いに、ライブと先輩のどちらがメインかわからなくなる

月日は流れ、今に至る。時は来た。突然訪れた。
無事にライブのチケットを確保し、勢いに任せて先輩に、仙台に行く旨を連絡した。数年ぶりの連絡にも関わらず、思いの外すぐに返信があった。「せっかくだから飲みに行こう」という内容だった。
まさか先輩から誘ってもらえるとは!
ライブのついでに先輩に会うつもりが、もはやどちらがメインなのかわからなくなった。

ライブ当日、私は電車を乗り継ぎ、東北新幹線に乗った。当時まだ開通して間もなかった列車は、新車の匂いがした。
仙台駅に到着し、駅ビルで牛タンを食べた。その日の天気は雪の予報だったが、さほど雪は積もっていなかった。
先にホテルにチェックインし荷物を預けて、電車に乗ってライブ会場へ向かった。見慣れない景色を眺めたり、雪国ならではの手動ドアに感動したりなんかした。

ライブハウスには寒空の下、バンドのTシャツを着た人で溢れていた。自分もいつもはそちら側だが、その日に限ってめかし込んできた私は一人浮いていた。その理由を思い出しては胸が高鳴ったが、ライブが始まるとしっかり爆音に溺れた。

先輩の左手薬指には輝くものが。「推しの結婚」という衝撃的な出来事

終演後、いつもなら絶対しないメイク直しをして、気合いを入れて待ち合わせ場所へ向かった。見知らぬ駅で一人、そわそわしながら待っていると、ちらつき始めた雪を頭に乗せながら、スーツ姿の先輩が現れた。
誰かがスポットライトでも当ててくれていたのだろうか、その光景がやけに眩しく輝いて見えた。

私達は近くの居酒屋に入り、お酒や料理を注文した。元気だった?から始まり、近況報告や思い出話、久しぶりの再会に話は尽きなかった。
ふと、何がが光った気がした。気がしただけならよかった。しかし気のせいではなかった。

先輩の左手薬指。輝くものはそこにあった。
仙台に配属されたタイミングで、その当時から付き合っていた人と入籍していたそうだ。

「頭を鈍器で殴られたような衝撃」とはこういう時の為の言葉なんだなぁと、妙に冴えた頭で思った。
もちろん、なぜ相手は私じゃないんだとは微塵も思わないし、先輩が幸せならそれでいいと本気で思っている。ただ、未だかつて経験したことのなかった「推しの結婚」という衝撃的な出来事を、そう簡単に処理できるほどの頭を、私は持ち合わせていなかった。
先輩が「嫁」というパワーワードを発する度、心臓が悲鳴を上げたが、私は平静を装い続けた。とにかく「推しとサシ飲みしている」というこの夢のような現状を、思う存分噛み締めようと努めた。

今回は撃沈に終わったが、自分の都合で動けるのが一人旅の醍醐味

夜は更け、その日はお開きになった。もちろん先輩は私に指一本触れてこなかった。これは例え話ではなく、物理的な話である。相変わらずのそういうところも推せるのだった。
雪がしんしんと降り続く中、先輩が呼んでくれたタクシーで、私は一人ホテルへと帰った。

翌日、私は昼に寿司を食べ、ずんだシェイクを片手に帰路についた。

今回の旅は撃沈に終わったわけだが、こうやって会いたい人に会ったり、ライブに行ったり、自分の都合で動けるのが一人旅の醍醐味である。もちろん誰かと思い出を共有するのも素晴らしいけれど、一人で自由気ままに、好き勝手楽しめるようになったのは、大人になった証なのかもしれない。
一人を楽しむということは、自由を楽しむということなのだ。

「自由と孤独は一人でセット」
とあるドラマに出てきたこの台詞が私は好きだった。マイナスな意味で捉えられてしまいがちなこの言葉の本当の意味は、もっと明るく、前向きなものだと、今なら理解できる。

より快適に、健やかに。
自由を楽しんだ分だけ、人生は豊かになるのではないだろうか。