無性に“私”を脱ぎたい時、私は大好きな映画のヒロインになりきる

何気なく毎日を過ごしていると、無性に“私”を脱ぎたくなる時がある。
嫌なことがあったり、我慢を強いられたり、作り笑いをして、大人になるとそんな事ばかりでストレスがコップいっぱいに溜まった時、私の場合はそうなるのかもしれない。
そんな時、私はわたしを辞めて、とっておきのひとり時間を過ごす。

それは、大好きな映画のヒロインになりきること。
服装や髪型をそのヒロインに寄せ、普段の私ではないわたしで街に繰り出す。普段の日常を捨てた瞬間、なんとなく見える世界が違う気がする。今日は私ではないから、仕事の事も煩わしい他の色々なことも考えない。娘でもなく、彼女でもない、まして英会話講師でもない。
そこに知り合いがいては現実に引き戻されてしまうので、ひとりであることに意味がある。
本当に人生を投げ出したくなった訳ではないし、身の回りの人と喧嘩した訳でもないが、日々の少しずつのストレスの積み重ねにより、完全に別人になってひとりを楽しみたくなる時がある。

誰かになりきると思うだけで、全てが自然と変わってくる

今日はローマの休日のオードリー・ヘップバーン。白い半袖シャツにフレアの紺色スカート。首にスカーフなんか巻いちゃったりして。普段の私がスカーフを巻くのは何となく気恥ずかしいのだけれど、今日のわたしはオードリー・ヘップバーンのアン王女だから。そう思うと歩き方や姿勢、立ち振る舞いの全てが自然と変わってくる。
ふらっと立ち寄ったカフェで、
「エスプレッソ頂けますか?」
なんて言ってみたりして。

ある時は、ハリーポッターのエマ・ワトソン。体にフィットしたタートルネックのニットにスキニーパンツ。髪の毛をクルクルに巻いて出かける。ハーマイオニーになる日は、いつもは読まないような分厚い本を図書館で探して読み進める。コーヒーを飲み、いつもより集中力が上がっているハーマイオニーのわたしは時間も忘れて読書に没頭していた。久しぶりに顔を上げると外がオレンジ色になっていて、お昼ご飯を食べていないことに気がつく。休みの日は一日4食食べることもある食いしん坊の私が、そんなこともあるのかと自分に新たな一面を見つけることもある。

誰かの1日を終えて家に帰り、私を着る。気持ちがふっと軽くなった

またある時は、耳をすませばの月島雫。昔母が着ていた少し古くさいワンピースを引っ張り出して、カンカン帽をかぶって出かける。カントリーロードを口ずさみながら目的もなく近所を散歩して、今まで知らなかったことを発見したりする。
ここのお花屋さんいつ潰れたんだろう、あのお家おしゃれだなぁ、こんなとこにピアノ教室があったんだ。細い通りの隅っこの家に、少し錆びれたピアノと書いてある看板を見つけた。
そんな時に野良猫を見つけるとすごくハッピーな気持ちになる。天沢くんのところに連れて行ってくれないかななんて思って、猫のあとをつけてみる。大抵少し行ったあたりで、猫は住宅の間を縫って行ってしまうので、尾行を断念せざるを得ないけれど。不思議なことにその先でまたタイミングよく野良猫を見つけたりする。気がつくと町内を出ていて、ここはどこだろうと知らない裏路地にいたり。今日は生産性がなかった日だななんて思うけど、そんな日があってもいい。

そうしてアン王女やハーマイオニー、雫の1日を終え、家に帰って、私を着る。気がつくと気持ちがふっと軽くなっていて、また明日から私頑張ろう!と思える。

これが私のひとりの過ごし方。