身近な人の「褒められないレンアイ話」は聞くものではない。
それがお世話になっている人ともなると、なおさらそう感じる。普段どれだけかっこよく賢く尊敬できる姿を目にしており、学ぶことの多い相手であっても、それとなると全く違って見えるものだ。
わたしにとって「恋愛」は、甘酸っぱく可愛らしい出会いに始まり、もどかしい距離感をようやく詰めて結ばれる。そんな爽やかなものだった。
それゆえに、不倫や浮気ものの創作物は全くの別世界として楽しむタイプだった。スリリングな恋物語がテレビや映画、漫画にあふれる風潮も嫌いではなかった。そこには、自分は絶対に関わらないという根拠のない自信と、自分の周囲ではそんなことが表立って起きるはずがないと思っていたからだと、今になっては思う。
現実の不倫を目の当たりにして、ドラマとは違うんだとわかった
そんなある日、身近な人が不倫をした。
いや、もしかしたら当事者たちはそうは思っていないのかもしれない。しかし、表面的な情報を当人たちから聞いているわたしには、彼らがやっていることは、社会的にも道徳的にも反する関係にしか思えなかった。
「彼ら」とは、わたしが社会人になってから知り合いお世話になっている女性と、その知り合いの男性だった。男性には、家族がいた。初めは、会話の内容をその女性から聞いたりするのも苦ではなかった。しかし、体の関係はないと言いながらも一緒にホテルに泊まったりする話を聞くようになった。
次第に、笑えなくなった。
3人で食事をすることになり、表参道にある洒落た和食店で2人が来るのを待っていた。暗い洞窟を連想させるような半個室のテーブル席に案内され、2対1に設置されたおしぼりを見て戸惑った。どちらに座ったら良いものか。散々考えた挙句、荷物の大きかったわたしは、1人分の用意がされた方に腰掛けた。
少し遅れて2人がやってきた。きれいに盛られた食事をつまみながら会話を楽しんだ。しかし、だんだんと2人の距離感がわかりやすく変わっていく様子を目の当たりにしながら、気づけば食事の味はどうでもよくなっていった。
手を握る、髪や耳に触れる……。どれもきっかけは、からかいや他愛もない話からだったが、酔いしれた空気と関係を前にして、ひたすらに早く立ち去りたかった。
現実の不倫は、ドラマのような美しく切ない「許されないラブストーリー」ではなかった。
知りたくはなかったけれど、知ってよかったこともある
2人の問題だから、わたしがどうこうしようとも思わない。そもそも良い恋愛であれそうでない関係であれ、そういうことになると他人の言葉は耳に入らない人が大半だと思う。「恋は盲目」というのはよくできた言葉だ。
わたしは、その女性を嫌いになりたくないという気持ちを支えに、ひたすらその話題から避けることにした。知りたくない進捗情報の共有から平和に回避することを選んだ。今どんな関係になっているのかは、知らない。
己が恋をすると、知りたくないことから目を背ける。
他人が恋をすると、目を覚ませとこちら側が躍起になり、そのうち諦める。
いずれにせよ、今回の知人の件は知らなければよかったと後悔した。知らない世界でいて欲しかった。
それと同時に、知るべきことを事前に確認し判断できる爽やかな恋をしたいと、強く願った。
結論、知ってよかった出来事である。