本気で魔女になれると思うほど、私は盲目だった

みなさんは『将来の夢』を書いたことはあるだろうか。私は小学校のころに書いたことがある。文集に書いたのか、作文に書いたのか詳しくは覚えていないが、なにを『将来の夢』にしたのかは、よく覚えている。
子どもの将来の夢は、よく変わるもの。私もそうだった。宇宙飛行士、学者、プリキュア。宝塚がどこにあるかも知らずにタカラジェンヌと書いたことも、よく覚えている。そんな数々の希望にあふれた夢の中でも、一つ異様なものがあった。

私はある晩、自分の知っている町がマグマに飲み込まれるのを見た。近くにある山からごぽごぽと坂をくだるように流れ出したマグマは、私の知っている学校や住宅街を潰してまわる。私はほうきにまたがり、上空からそれを見下ろしている。幼児らしいパジャマ姿で、街だったものを見下ろしていた。

という夢を見てから、当時の私の将来の夢は魔女だった。魔法使いでも、魔法少女でもなく、魔女。実際は、私の家から見える山は何十キロも先だし、そもそも活火山ではない。普通の小さい山である。それでも私は、母親に「もし、マグマが来たらままのこと絶対助けるからね」と本気で言っていた。魔女になれば、本気で助けられると思っていた。
というのも学生だったとき、私はかなり器用だった。書道をしており、本とゲームが好き。かと言っておとなしいわけでもなく、女子が2人しかいないサッカー部に所属したり、学級委員長にもなっていた。小学生にしては、たくさんのことを経験していた。だから、だいたいのことは平均以上。そこそこの努力でトップ10には入らないけど、20に入るぐらいには、なんでもできていた。できると思っていた。

私は器用なだけ。特別な才能はない。思い知らされた中学の陸上部

その考えが大きく変わったのが、中学生の部活動である。私は友達に誘われて陸上部に入った。なにかしたいわけでもなく、「どれでもいいから運動部入りたいな」なんて気持ちでいた。
実際は、地獄だった。練習は確かに辛かった。きっと中学生がやっていい運動量ではないと思うし、私は今でも足に若干の後遺症がある。
でも、本当に地獄だったのはそれじゃない。私が本当に辛かったのは、残酷なほどに現実を見せてくる『数値』という存在だった。陸上、特に私が行っていた短距離走は小数点以下の戦い。一瞬ですべてが決まる競技である。

私と陸上のことを話すうえで欠かせない人間がいる。彼女と私はいつも一緒にいた。部活でも、教室でも。辛い練習も声を掛け合って耐えてきた。彼女と私はいつも一緒にいた。けれど、数値は一緒にはならなかった。彼女は200m競技で県大会まで出場していたが、私個人の戦績は地区大会までである。彼女と一緒に出たリレーで、県大会にでた。

どれだけ練習しても、彼女には勝てない。この差が変わることはない。引退するまでに何度も思い知らされて、結局私は彼女には勝てないままだった。彼女はきっと影で私以上に努力していたのだろう。ただ、数値は噓をついてくれなかったのだ。私は陸上を通して、自分は普通だと思い知らされた。トップ20に入っても、本当に勝ちたいときに勝てない。ただ、器用なだけで、魔法のような才能も努力も持ち合わせていない。小学生のころ、なんでもできると思っていた自信は、もうとっくに失っていた。

楽しんで学んでいるのが、等身大の私

高校生になったら、陸上はやめていた。彼女になぜやめたのか、と聞かれて、足のケガが治らなかったからと噓をついた。陸上をやめた私は、数値以外の評価を見るようになった。書道は空間を『美しさ』を評価する。戯曲は『小道具の動かし方』を評価する。人間や物事を評価することができるのは、数値だけではないことを知った。

今、私は大学で言語メディアについて学んでいる。大学に進学するとき、本当に好きなことをしたいと思った。そして、数値以外で図ることができる分野を学びたいと思った。自分は普通だと思い知らされたからこそ、自分の好きなものを武器にしたいと思えた。私はこつこつ努力することができない。中学生のときの彼女のように、見えない努力ができるわけでもない。だから、その道で楽しみながら戦いたい。楽しみながら、学びたいと思った。