「え、ピンク好きだよね?」
中学1年生の頃、同級生の女の子に言われた。
私はかわいいものが好きだった。
ピンクもレースも、フリルもスイーツも憧れていた。
いわゆるロリータのようなものだ。
ただ、母の服の趣味ではなかったので、ロリータを着ていたことはない。
いつか着てみたいな、と思う程度の憧れだった。
服にピンクが少ない分、持ち物はピンクが多かった。
筆箱やペン、ファイルや下敷き。
家庭科で作るエプロンもピンク、彫刻刀もピンクが入っていた。
中学校に入っても、変わらずピンクの持ち物は多かった。
そんなある日、言われた台詞。
「え、ピンク好きだよね?」
ピンクが好きだとだめなのだろうか。
とっさにそんなことを思い、「え、普通だよ」と答えた。
その場はそれで収まった。この話は終わりだと思っていた。
なぜピンクが好きだとだめなのだろうか
私のクラスでは、1年間の最後にクラスの印象アンケートのようなものがあった。
その人に対してどんなイメージがあるかを集計して、1年間の思い出の冊子として配られたのだ。
その冊子に書いていた私へのイメージ。
「ピンク好き?(笑)」だった。
なぜピンクが好きだとだめなのだろうか。
かわいこぶってるように見える?似合ってないから?
書いた人は特に何も考えていなかったのかもしれないが、中学生の私はひどく傷ついてしまった。
これを機に、ピンクが好きだと言わなくなった。
「意外」という言葉は、案外人を傷つける
私は割とポーカーフェイスで、落ち着いていると言われる。
そんな私がピンクを好きということが似合わないのだろうか。
そう考え、好きな色と聞かれたら、「水色」「青」「ミントグリーン」と寒色系を答えるようになった。
寒色系と答えるようになったら、「それっぽい!」と言われるようになった。
「それっぽい」って、何だろうか?
別に、寒色系が好きなことは嘘ではない。
だけど、きっと。
「ピンクが好き」と言ったら意外と言われるんだろうな。
「意外」という言葉は、案外人を傷つける。
「大人しそうに見えて、『意外と』色々してるんだね!」
「『意外と』バッサリ言うよね~」
大学生になった私が言われた言葉たち。
けなされているわけではないし、純粋に意外だと思ったから言っている台詞なのだろう。
でも、「意外」って単語。必要かなと思ってしまう。
「意外と」この言葉には重みがあるようだ。
自分の好きな人、モノ、コトに時間をかけたほうが絶対有意義だ
今の私の考え。
「自分の好きなものを好きと言って何が悪い!!」
人生は短い。長くても100年ぽっちしか生きられないのだ。
自分を否定してくる人に時間をかけるより自分の好きな人、モノ、コトに時間をかけたほうが絶対有意義だ。
そして、「他人を否定してはいけない」。
あなたの好きなモノは、誰かの嫌いなモノかもしれない。
あなたの嫌いなモノは、誰かの好きなモノかもしれない。
自分が傷つけられたからと言って、誰かを傷つけても何も生まれないのだから。
「ピンク」の記憶は、10年近く前のことだけど案外忘れていなかった。
もっと、みんなが多様性を認められる世界になるといいな。
綺麗ごとかもしれないけれど。
「ピンク」という色は沢山のことを考えさせてくれる色みたいだ。