この世の中には「お礼参り」をしたい人がたくさんいる

ある映画を見た。序盤のシーンで、刑務官にいじめられていたキャラクターが、出所後に刑務官にあらゆる形でダメージを負わせていた。
刑務官の後悔や怒りの混じった、放心状態の表情が印象に残っている。虐げられた者が上下関係がなくなった際にする仕返しのことを「お礼参り」と言うそうだ。

お礼参り。正直、私もしたい人はこの世にいっぱいいる。
先述した映画のお礼参りのシーンは、正直に言えばかなり過激な内容で目をつぶってしまった。ちょっとやりすぎではないかと思っていた。
しかし、自分をそのキャラクターに投影すると話は違った。いざ自分が当事者の立場であれば、きっとそれくらいのことはやっているだろう。もちろん法律と環境が許せば。それほどまでに、自分を虐げた人達のことは、ずっとずっと憎たらしくて許せない。

いじめられた苦しみは今でも消えない。洗いざらい吐き出したい

辛かった出来事は、たとえ10年以上前でもかなり鮮明に覚えている。表情、暴言の内容、声色、暴力、全て再現出来る程に。そしてその鮮明な内容に時折フラッシュバックが起きて、体調が悪化してしまう。私は今でも後遺症に苦しんでいる。
しかし、きっとどうせ向こうは覚えていない。その証拠にSNSの鍵をかけずに日々の生活を垂れ流しているからだ。

相手の職場先、現在住んでいる場所、付き合っている相手の学校、結婚相手の職業、お子さんの名前、少し手間をかければ全部簡単に割り出せてしまう。自分が法律と環境次第で、お礼参りをされてしまう立場であることがわかっていないのだ。
映画の内容のように過激でなくとも、相手の職場先に相手がしてきた仕打ちについて、全てぶちまけたい。相手の上司に、相手の学生時代のいじめの内容を洗いざらい吐き出したい。いつもそう思っている。

現在は、幸か不幸か臆病さと理性が勝っており、実行に移せたことは今までに1度もない。しかし、頭の中では自分が全員分の復讐をやり遂げて、相手全員が社会的な地位を失い苦しんでいるといった妄想をしている。

後ろ向きな妄想は、もう疲れた。「許す心」を手に入れたい

でも、私は正直こんな後ろ向きな妄想をやめてしまいたいと思っている。
もう疲れた。頭の中でどれだけ私は、返り血だらけになったのか。もう復讐心に囚われるのは心が痛い。苦しくて、でもどうしようもない私には、「許す心」が必要なんだろう。

「復讐は何も生まない」「自分が幸せになる事が最大の復讐」という言葉を聞いたことがある。私はこれまでこれらの言葉は、復讐される側が、自分への復讐をなんとか避けてほしいがために善人ヅラして発していた言葉だと思っていた。
しかし、実際は違った。復讐に燃える分、自分の身を真っ黒に焼き焦がして、自分が自分ではなくなっていく。確かに復讐心に燃え続けていたら、心身が消耗していくのだ。

それではどうしたら「許す心」が手に入るのだろうか。何をしたら許せるのだろうか。それさえあれば復讐心がなくなり、気が楽になるのだろうか。「許す心」は私の全てを包み込んでくれるのか。
お試しでもいいから、少しでもわけて体感させてほしい。