私には、2年以上お付き合いしているパートナーがいる。
彼女は2歳年上だけど、子どものような可愛さももち、冷静で頼れるところもある、素敵な人だ。同棲を始めてからは、一緒に料理をしたり、映画を見たり、毎日が楽しくて仕方ない。彼女の寝顔を見ながら、こんな平穏な日々を大事にしたいと心から思う。
しかし、これまでの2年間で、彼女との関係がずっと平穏だったわけではない。私にはずっと、葛藤があった。
「本当にこのまま付き合っていていいのか」
そう思い続け、眠れないこともあった。
病気を知ったとき、正直、彼女と付き合っていく自信がなかった
彼女が難病を抱えていると知ったのは、付き合ってから3ヶ月が経った頃。全身性エリテマトーデス(SLE)という病気で、膠原病の一種だ。
打ち明けられたとき、正直この病気を抱えた彼女と付き合っていける自信がなかった。私なんかが支えられるのか、旅行なんかも楽しめないのではないか、もしものとき私は耐えられるのか、そんな不安でいっぱいだった。
「最初に言ったらすぐ別れられちゃうと思って。ごめんね、隠してたわけではないんだ。でも、今では症状もでないし、普通の人と同じだよ!」
そんなこと言われたら、本当に別れたくなったときも、同情の気持ちで別れられなくなる、当時はそんな風に思っていた。
私はその日から毎日のように、病気のことを調べた。
「全身性エリテマトーデス 症状」
「全身性エリテマトーデス 寿命」
「全身性エリテマトーデス 死亡例」
私のウェブの検索履歴はこんな言葉ばかりだった。ネットの記事を読めば読むほど怖くなった。
「10年後の生存率は……」
「他の感染症にかかれば、重症化して死に至ることも……」
「完治することはない」
「現在は研究も進み、薬が……」
安心させてくれるような記事を見つけても、嫌な言葉ばかりが頭に残り、まったく安心できない。新型コロナウイルスも流行りだしたし、感染したら、本当に死んでしまうのではないかと思い、SLE患者のコロナ発症例なんかも毎日検索した。
彼女を守る使命感にがんじがらめになる私と、「別れよう」と言う彼女
過度な不安に襲われ、私が彼女を守らなければと、変な使命感でがんじがらめになった。
人混みにいかないで欲しい。電車も乗るなら空いてる時間に乗って欲しい。ワクチンすぐ打てるか病院で絶対に確認して。とにかく必死だった。彼女が久々に友達と飲みに行って、嬉しそうな声で電話がかかってきたときも、私は怒った。飲み屋なんか行って感染したらどうするの、と。私も、友達と全然会わなくなったし、とにかく感染しまいと敏感になっていたからこそ、怒りがこみ上げてきたのだ。
しばらくして、彼女に電話で「別れよう」と言われた。私は泣きながら嫌だと言い張った。
「重荷になりたくないし、私だってしんどいんだよ」
そう言われ、お互い冷静になろう、と一度電話を切った。
やっとわかった。彼女は、自分が私の「重荷」のように感じていた。私は彼女のことを「パートナー」として扱っていなかった。大好きだからとった行動は、彼女を苦しめていた。なぜもっと早くに気づけなかったのだろうと、自分の言動の惨めさに涙が止まらなかった。
「私よりネットの内容で、私を判断しないで」。彼女は私よりも強い人
その後、私は自分の不安な思いを伝えた。これまで、自分が調べたSLEの情報なんかあまりにも酷すぎて、本人には伝えられないと思い、自分の不安は言わなかった。しかし、自分の彼女への言動はこういう理由からだったんだと、謝りたかった。すると彼女は、
「不安だったよね、ごめんね。でも、私よりネットの内容だけで、私を判断しないで欲しい。
たしかにネットに載ってる内容はいいことなんて書いてないし、実際この病気が怖いものだって知ってるよ。私だって生死を彷徨って、本当に死ぬんじゃないかって怖かったよ。
でもやっと受け入れて、この病気と付き合ってる。しんどかったらしんどいって言うし、ちゃんと自分で管理はするよ。こんなに心配してくれる人もいて、私一人の身体じゃないから、そこは責任もってるつもりだよ。
でも私、普通の人とそんな変わらないでしょ。元気だし。私のこともっと信じて欲しいな」
勝手に自分が守らなきゃと必死になっていたが、彼女は私よりもはるかに強い人だった。大好きな彼女を失う怖さや、自分には荷が重いと感じていた不安を、すべて包み込んでくれた。彼女への愛が、私の弱い心を変えてくれた。
今でも一緒にいるのは、この人を守らなきゃという使命感があるからではない。彼女の温かな人柄が大好きで、彼女を信じているからだ。
最近は二人でよく山登りをしている。私がしんどいときは彼女が待っていてくれるし、彼女がしんどいときは、私が手を差し伸べる。そんな関係が、とても尊いものだと感じる。