私の部屋はゴミ屋敷だ。というと大袈裟かもしれないが、6畳しかないワンルームは足の踏み場なんてほとんどないほど衣類や日用品、その他嗜好品であふれている。

大学時代、うちに遊びにきた友人からは、
「物欲っていうより、知識欲が前面に押し出されたような部屋だよね」
と、だいぶオブラートに包んだ表現で我が部屋を評した。

大学を卒業して随分経ったが、勿論その間も買う物に対して捨てる物は極端に少なく、ただでさえ狭い我が家の居住スペースは増え続ける物欲に侵食され続けた。
コロナ禍のステイホームで流石に自宅の汚さに辟易し、LLのゴミ袋6袋分の断捨離を行ったが、それでもなお物量が多い。

これはお気に入りだしな、あれはまだ使えるしな、こいつは読み返すかもしれないし……ああだこうだと理由をつけては捨てられずに積み上げられた物たちのなんと多いことか。
Instagramに投稿されているオシャレでミニマルな部屋なんて夢のまた夢。
仕事に疲れて帰宅するたびに雑然とした自室にため息をつく毎日だ。

部屋を占拠する本の山。大学時代の散財の結果

そもそもどうして私はこんなに物を捨てられないのだろう。
もともと物持ちが良い方ではある。
幼稚園に通っていた頃に園で配られたはさみや、小学生の頃に家庭科の授業で使用していた裁縫セットが未だに現役として活躍していること、中高生の頃からほとんど体型が変わっていないから寝巻きに当時の体操服が採用されていること。
一度手にしたものはそれが完全にダメになるまで使い倒すから、ちょっと欠けたとかちょっとほつれた程度ではなかなか捨てられない。

でも、やっぱり着る物には流行り廃りがあるし、最近はメイクにも興味が出てきたから、新しい服やコスメも欲しい。
誘惑に抗えずについついお持ち帰りしてしまった物たちは星の数ほどあるが、結局は普段使いのものしか使用しないのでどれも箪笥の肥やしになっている。
そんな箪笥の肥やしたちも貧乏性で捨てることが出来ないので物は増える一方だ。完全に負のスパイラルに嵌っている。
意志か、意志が弱いのがいけないのか?

そう振り返る私の部屋で一番スペースをとっているものはなんだろうか、と室内を見渡す。
すると、うずたかく積まれているのは、商業同人問わず本の山だ。
大学時代、生活費は親の脛をかじっていた私にはアルバイト代がたんまりとあった。稼いだ分は全て娯楽に回すことができる。

慣れない一人暮らし、終わらない課題の山、バイト先でのクソ客対応。
稽古とバイトと学校の毎日で碌な休みがない日々。
嫌なことがあると、その頃の私は本を買うことに逃げていた。
物語の世界に浸っている間は、現実に起こった憂鬱な色々も忘れることが出来たし、何よりぱーっと気前よく散財することは気分がよかった。

買い物をするという行為はどうしてこんなにも人の心を高揚させるのだろうか。
溜まったストレスを発散するように、私は毎月5万も6万も漫画や小説、各種の本にお金を注ぎ込んでいた。

値もつかなければ、読みもしない。手元にあることに意味が

しかし、そんな日々にも必ず終わりが来る。
流石に社会に出ると親の脛を齧じることは出来ない。
生活費の全てと、売れない役者稼業に邁進するための出費、私の貯蓄が底をつくのにそう時間はかからなかった。
「このままでは破産してしまう!!」
慌てて浪費をやめて、うずたかく積み上がった本のうち、もう読まないだろうという山を売りに出そうとした。

紙の塊は意外と重い。
ボストンバッグいっぱいに詰めて、電車を乗り継いだ都心のブックオフに出向いた。
1時間ほど待っただろうか、カウンターに呼び出されて告げられたのは、ほとんどは値がつかず、ついても10円かそこらという査定金額だった。
電車賃になるかどうかも怪しい金額だったが、重たい思いを二度はしたいと思えず泣く泣く買取金額をのんだ。

軽くなったボストンバッグと共に帰宅すると、それでも大量のもう読まないであろう本たちが鎮座していた。
こいつらを売りに出したとしてもきっと二束三文にしかならない。

もう読まないとはいっても、私の辛かった日々を支えてくれた本たちだ。
生活の糧にならないのならば売りになど出さず手元に置いておきたい。
そういう物たちが積もりに積もって、私の部屋は今日もゴミ屋敷だ。