3ヶ月前だったら、「愛が私を変えたこと」というテーマでエッセイを書こうなんて思わなかっただろう。
ここ数年彼氏はおらず、恋愛を最後にしたのも学生時代。「愛」なんて私とは程遠いお話だった。
だが、今の私は違う。
最近の出来事だったし、なんかこう人に話すのは照れくさくてまだ消化しきれていないこの思いを、文章にしてみようと思う。

祖父が亡くなったと聞いた日の夜、祖父について考えた

この前、祖父が亡くなった。
2022年の2月末、家族で食事をしている最中に鳴った父の電話での突然の知らせだった。
びっくりした。急だった。
翌日、新横浜から小倉まで新幹線で向かった。久々の小倉だった。こんな形で行くとは全く想像もしていなかった。
亡くなったと聞いた日の夜、小倉へ向かう新幹線の中、いろんなところで祖父について考えた。

祖父は数年前から認知症を患い、2年半前の夏に熱中症で倒れてから施設での生活が続いていた。大学生の頃はとても忙しかったり、社会人になってはコロナが流行ってて、何より頻繁に会う間柄でもなかったから、認知症になってからの祖父には一回も会っていなかった。

祖父との深い思い出は、正直言ってほとんどない。
小さい頃、祖父は会いに行くと大抵テレビを見ていた。盆は高校野球、年始は箱根駅伝。集中しているから、孫たちが入る隙はない。しかもそんなに口数が多い方ではなく、会話の記憶がない。

祖父への愛情にあふれる親戚たち。愛がいっぱいの一日だった

そんな祖父のお葬式で私は大号泣した。
亡くなった祖父を見て、お葬式に来た親戚のそれぞれの様子を見て、私は大号泣した。
びっくりした。
自分でもびっくりするほど涙が溢れて止まらなかった。

お葬式の後、父の実家に行った。
そこには祖父が2年半前まで生活していた様子がたくさん残されていて、その跡を見つけると少し泣いた。祖父は生前ずっと「家に帰りたい」と言っていたらしい。それを聞いて少し泣いた。
その後、祖父が保管していた家族写真が出てきて、まだ若い父の姿を見て少し泣いた。
写真を見ながら思い出話をしている親戚たちを見て、また泣いた。
もう何を見ても何を話しても、なんだか涙が出てくるのだった。

この日一日、私たちの周りには愛があった。
一人一人が祖父に対する愛情で溢れていて、お互いを愛していて、それが繋がっていた。
多分私はその愛のデカさに圧倒されて、ずっと涙が出ていたのだと思う。
私はその夜、この愛を大事にしたい、もっともっと繋げていきたい、そんななんだかカッコつけたようなことを思いながら寝た。

愛を知ったから、周りに愛をばらまいていこうと思う

その日から私は、愛を色んなところで感じる。
朝、家族がいってらっしゃいと見送ってくれる時、友達から旅行のお土産をもらう時、同僚からお疲れ様と声をかけられる時、色んなところでお互いを思いやって、そこに愛を感じている。

このエッセイは、思い切って「愛ってなんだ」という題名にするくらいの気持ちで書いた。
まだ私は愛の正体はちゃんとは分からないけど、そこに確実に存在していることは知った。
そして私はそれを知ったからには、意識的に周りに愛をばらまいていこうと思う。
そうやって愛に溢れた人間になるんだ。

愛はどこにでもある。
人と人とが繋がる時に愛は生まれる。
私はそれにたくさん守られて救われる。