来月で23歳になる私には、どうしても捨てられないものがある。それは、ニコちゃんマークが大きくのった黄色いバスタオル。あれ以来全く使っていない、でも捨てられない、私の初恋。
頻繁に絡んでくる男の子。1年後には対等に話せるようになった
「おい、ニコリマーク!!」
まただ。間違いなく私のことだ。
そしてこれを言う人は1人しかいない。週に1回、土曜日の朝、スイミングスクール。色白で私より背は低い。でも1つ年上の小学5年生の男の子。
私は初め、彼のことが大嫌いだった。毎週スイミングに来るたびにちょっかいをかけられていたからだ。もちろんこの呼び名も。
私がスイミングに通い始めたのは小学1年生の時。体を動かすことが大好きなため、上達し、すぐに高学年のいるクラスに入ることができた。
しかしクラスには当時、女子は私を入れて3人、男子は10人程いたのであった。私自身、活発な上に人数の少ない小学校に通っていたため全体的に仲が良く、おかげで人見知りしない方だが、習い事では別だった。加えて女子2人が辞めてしまい、私は1人になってしまったため、スイミングではほとんど話さない、笑わない子だったと思う。そんな中、1人の男の子が頻繁に絡んでくるようになった。
当時、男子の名前には、ほとんどが''ゆう''という名前がついていたため、本気で誰が誰だか分からなかったが、スイミングキャップには''ゆう''という名前が。それから毎週土曜日、「ニコリマーク」で始まり、何かとちょっかいをかけられ、それに対して完全無視を続けるも、1年後には対等に話すようになっていた。
彼が辞めると聞いて気づいた。私がスイミングを続けられた理由
そんなある日の夜。1通のメールが届いた。同じ小学校に通う同級生からだ。
内容は、「ゆうって人の好きな人聞いたよ、知りたい?」というものだった。というのも、私とゆうは通っていた小学校は違えど、中学校は同じということは分かっていた。このメールを見た時、チャンスだと思った。いつもからかってくる仕返しだ。
そう思い、とてもワクワクしていた私に届いた、ゆうの好きな人の名前。それは私だった。
田舎であればあるほど、ウワサというものは広がるのが早い。そのため、「ゆうが私を好き」ということは広がった。
だが実際はどうだったかはわからない。というのも、うわさを聞くようになっても、毎週土曜日のスイミングでは普通に話していたからだ。
それから私が小学5年生の2月、小学校卒業を機に辞めると聞いた私は、とてもショックを受けた。結果、私はゆうより先に辞めた。そして私は小学6年生、ゆうは中学1年生になった。今思えば、水泳はゆうが居たから続けていたのかもしれない。
その後、私は新しいスイミングスクールに通うも、楽しくはなかった。
そして月日は流れ、私は中学生になった。入学式の日、外でクラスを確認している時、ふと、私は後ろを振り返った。その時、学ランを着て自転車で通り過ぎていったゆうを見たような気がする。それから始まった私の中学生時代はゆうを、''先輩''を想う毎日だったと思う。休み時間には私の教室の前でうろつく姿や、廊下から見える、2階の窓から覗く先輩の姿。偶然見かけるたびに私の胸は高鳴った。
未経験で入った先輩と同じ部活。初メールの返信は「誰」の1文字
私と先輩の共通点といえばスイミングであり、もちろん水泳部に入るつもりだった。水泳部には先輩もいるだろう、そう思っていた。しかし、先輩はバスケ部だった。結果、私は未経験であるにも関わらず、バスケ部に入った。
今思えば懐かしく思う反面、後悔も思いつく。それでも私はただ1人、先輩のことが好きだった。だから告白をされても、迷うことなく断れてしまうぐらい、先輩のことが好きだった。だが先輩は違った。
先輩は小学生の頃からモテていたし、隣のクラスの同級生と付き合っていたり、バスケ部の先輩とも付き合っていた時もあった。そして中学2年生になったある日、バスケ部の同級生が先輩とメールを始めたということを聞いた。
先輩は携帯を持っていないと聞いていたため、私はメアドを教えてもらい、すぐにメールをした。しかし、何時間後かに返ってきた返信は、「誰」のたった1文字だった。
この時、とてもショックを受けたのを覚えている。それから返信するもそっけなく、後は返事が返ってこなかった。翌日、同じく先輩とメールをしたというバスケ部の同級生は、結構盛り上がったとのことだった。
23歳を迎える今でも分からない。どうしてあんなに冷たかったのか。その後も先輩の冷たい態度に傷つくも、それでも私は先輩のことが好きだった。そしてそのまま先輩は卒業した。
部活の卒部式に、私は先輩に直接告白しようと思っていたが、先輩は来なかった。そこで私はあの日以来していなかったメールで告白した。返事は返ってこなかった。
後悔はあるようでない。私は二コリマークのように笑顔で過ごしていく
それからの私はいつまでも落ち込むことなく、次第に先輩のことは忘れていった。そして高校生になったある日、同級生に誘われて中学バスケ部の練習に参加しに行った時、偶然にも先輩がいた。そこで、後日メールを送ってみたが、随分と変わっていた。一言で言うと、チャラい。
あんなに冷たかったのに、この変わりようは一体何なのか。初めは嬉しかったはずなのに、次第に怒りのようなものが自分に湧いてきた。ゆうにとって私は、過去の出来事の一部に過ぎないのだと感じた。
そこで私は、ゆうにされたような冷たい態度でメールを返した。同じことをしてやった、そう感じた。返事はこなくなった。後悔はあるようでない。私も過去にさよならしようと思った。
それから私は大学生となり、偶然、彼を何度か見かけることがあった。バスの中や、デパートの中。友だちとランチしに入った店で、彼らしき人を見たこともある。前ほど未練は残っていない。ただ、ふとした時に考える。
中学生になったばかりの頃、気軽に話しかけていたら、と。久しぶりに再開した後のメールで、仕返しじみたことをしなかったら、と。
そして今回このテーマを目にして思い出した、ずっと捨てられないもの。あの黄色いバスタオル。このエッセイを書こうと決意した時、私は母にメールをした。「あの黄色いバスタオルは捨てないでね」と。
そして、もう初恋を思い出して後悔したりはしない。私もニコリマークのように笑顔で過ごしていこうと思う。