「好きな色は何色?」という質問に、幼稚園児の私は「水色」と答えていた。
ピンクとは反対の色。その頃から私は自分自身を「好きな色はピンク」という人とは真逆の人間だと思っていた。
幼いころから、ピンクというイメージの裏には「かわいい」があった。
かわいい人が身に付ける色。かわいい人だからこそ許される色。勝手にそう思っていた。
私は自分の事が本当にかわいくないと思っていた。きっと言われていたのかもしれないけど、「かわいいね」と言われていた記憶がない。
なぜ私は可愛くないの?いつしか「可愛い」がコンプレックスに
気づいたころから「むーちゃんのお母さんはかわいいね」と言われてきた。みんな私のお母さんを褒めてくれるのに全然嬉しくなかった。むしろそれはいつしかコンプレックスになっていた。何でお母さんはかわいいのに、私はかわいくないんだろう?
私と母は似ていないから余計に感じていた。そんな母の好きな色はピンクだった。
七五三の写真を撮った時のことは今でも覚えている。
私は赤い着物を着てメイクもしてもらった。女の子ならきっとルンルンな日なんだろうなぁと今では思う。しかし、私は違った。「何でこんなにかわいくないんだろう」と鏡に映った自分を見て悲しく思っていた。
記念写真を撮る時、カメラマンさんに何度も「笑ってください」と言われた。私は悲しかったから笑えなかった。それでもカメラマンさんは諦めずに「もっと笑って!ニコニコしよう」と明るく言った。
ついに幼い私は泣き出した。周囲の大人たちは何で私が泣いているのか、全く分からなかっただろう。ものすごく不機嫌で悲しくて泣いている私に「あらあらメイクがとれちゃうよ」と言われたのを今でも忘れない。
そんなこと言ったって悲しいんだもの、と涙は溢れるばかりであった。
お化粧をきっかけに、自分を徐々に認められるようになった
小さい頃の写真を見てみると、笑っている写真は少ない。「笑っても可愛くないのに何で笑わないといけないのか?」と疑問だったからだ。
洋服も靴もピンク以外を選ぶようになった。ボーイッシュでもなく、かわいくもなく、なんだかパッとしない女の子。こんな自分が嫌いだった。
高校生になっても自分の事は相変わらず嫌いだった。しかし、プリクラや携帯の普及で友達と積極的に写真を撮るようになった。
友達と写真を撮るのは楽しかった。プリクラの性能のおかげでちょっとはかわいくなれた。
大学生になり、お化粧をするようになると褒められるようになった。初めてに近い経験だったため、お化粧でこんなにも変われるんだと驚いた。家族にも化粧をすると変わると言われた。
それからかわいくない自分がちょっとはましな自分になれて、自分の事を徐々に認められるようになった。周りの方が私の事を気にかけてくれて、たった一言の「かわいい」が大きな言葉だった。
周りを気にせず、自分だけのために生きられる選択の大切さ
車を持つと、一人で自分の買い物をするようになった。社会人になり、好きなものを買えるようになった。そんな今は自分に嘘をつかないで好きな色、好きな洋服、好きな小物、好きな形などを選択している。
生活が豊かになった。私の人生において色で判断する時代に終止符を打った。
今の私にとってピンクはテンションが上がるかわいい色。そんな色を身近においているだけで幸せだ。
年齢を気にして、ピンクをまた嫌う事もあるかもしれない。そんな時に問いかけたい。
「私は何を気にしているの?」
周りの目を気にしないで自分だけの為に生きていければ、HAPPYな生活を送れる。
だって今はストレスが一つ減ったから幸せだもん。色で周りの目を気にせずに過ごし、これからも自分の幸せな色を選択していきたい。