サバサバと分別できれば、衣替えに時間がかかることもないのに
私は部屋の整理が苦手だ。特に、「いらなくなったものを捨てる」という作業が苦手だ。
いらなくなったもの、という定義が、自分の中で曖昧なのかもしれない。
例えば、洋服。ニットならば、100円ショップで購入した毛玉取りで手入れすれば着られる。Tシャツならば、大きなシミ以外なら洗濯すれば着られる。これを毎シーズン繰り返すと、どんどん手持ちの洋服に愛着が湧いてくる。
捨てようと思うこともあるのだが、1着ごとに想い出があるため、ゴミ袋まで洋服を持っていっては手を止め、その手を開けずに棚に戻す、という流れを繰り返しているのだ。
自分でもこの性格が嫌になる時がある。もっとサバサバと分別できれば衣替えにこんなに時間がかかることもないのに…と何度思ったことだろう。
なんだか特別な服。絶妙なバランス感が私のお気に入りの理由
中でも特に、長年私を悩ませている洋服がある。家に来て少なくとも10年は経過しているはずだから、もはやクローゼットの主と化している。おそらく在籍年数で考えたら1位2位を争うのではないか。
その洋服は、グレーのパーカー。ただのシンプルなパーカーではない。正面にハンドメイド風につぎはぎされたクマのぬいぐるみが2体描かれている。
このパーカーの可愛い点は、そのクマの目がボタンになっているところだ。各々別のボタンになっており、色も可愛い。更に着回しも良い。白のTシャツとジーンズに合わせてもいいし、カジュアルなワンピースにも合う。主張しすぎず、かといって存在感がないわけではない。
この絶妙なバランス感が私のお気に入りの理由なのだ。この服だけはなんだか特別で、心の中でパーカー君と名付けていた。
パーカー君が家に来たきっかけは、中学生最後の誕生日だ。
日付の都合上、私の誕生日は毎回長期休みと被るため、友達から直接祝ってもらうことはほぼなかった。その代わり、少し遠くに住んでいる祖父母からプレゼントの宅配便が届く事が、毎年の楽しみだった。プレゼントももちろん楽しみだったが、ダンボールの隙間を埋めるかのごとく詰められた大量の駄菓子も楽しみの一つだった。
パーカー君は祖母からのプレゼントだった。部活が忙しく、買い物になかなか行けない、と電話で愚痴った私の話を覚えていてくれたのかもしれない。普段若者の洋服売り場なんて滅多に行かないのに、色々な店舗を回って探してくれていた、と後から聞いた。
身長147㎝なのにサイズはM。正直ダブダブで袖も余っていたけれど、何だか大人に一歩近づけた気がして頬が緩んだのを今でも覚えている。
私の成長と同時進行で、パーカー君はどんどんくたびれていった
それから数年、パーカー君は私の大事な相棒となった。高校生の遠足も修学旅行も、大事な行事はいつもパーカー君と一緒だった。
辛く苦しい時は、涙をそのダブついた袖で拭いた時もあった。その結果、袖の部分が徐々に黒くなり、クマの目のボタンもほつれてきた。ボタンを1つずつ付け替える度、玉結びがきつく出来るようになり、裁縫が上手になっていくのを感じた。
そんな私の成長と同時進行で、パーカー君はどんどんくたびれていった。しまいにはすれた部分が毛玉になり、毛玉取りでも取れないくらいの状態になってしまった。
あまりにもヨレヨレなので外では着られず、大学生時代には部屋着として重宝した。それだけ着用したのだから、今現在の状態はヨレヨレを通り越してボロボロである。もう部屋着として着るにも状態が悪すぎる。これで宅配便の受け取りにでも出ようものなら、どれだけの貧乏生活をしているのだろうと想像されてしまうに違いない。
それでも、どうしても捨てられないのだ。パーカー君とゴミ袋を順々ににらめっこするたび、彼が「捨てないで」と訴えてきている気がして。そうして今日も彼はクローゼットの主としての役割を果たし続ける。