兄ちゃんにもらった、お下がりのランドセルがお気に入りだった。
少しベルトがちぎれかけていて、擦り切れた黒のランドセル。もちろん新品を使ってみたいと思うことは山ほどあったけど、わたしはそれが好きだった。
大好きな兄からのお下がりの黒いランドセルを見た近所の人は
兄ちゃんが黒、姉ちゃんが赤。わたしは黒をもらって、弟は青を買ってた。妹も好きな色を買うんだろうなと思っていた。
状況だけ見たら「ランドセルが1人だけお下がり」であっても、大好きな兄ちゃんから下りてくるなら、私には何の問題もなかった。
でも、近所の人にはそう映らなかった。
「あやちゃんは、かわいそうね」
「女の子なのに。お下がりの黒なんて」
「同じクラスのKちゃんはピンク色なのに」
小学校1年生になった私にかけられたのは、祝福ではなくこんな言葉ばかりだった。通学路でおばあちゃんに会うたび、「あ〜あ〜、女の子なのにかわいそうだ。黒のランドセルだでねえ」と、お気に入りのランドセルをそんなふうに言われ続けた。
関係ないけど、Kちゃんのランドセルも黒になればいいと思った。
ランドセルだけじゃなくて、ピンクを選んだら負けな気がして、頑なに青や黒の服や裁縫セットを選んだ。ドラゴンのエプロンも習字道具も、今となってはそこそこダサいけど、当時のわたしには大満足だった。ランドセルとお揃いの黒は「にいちゃんとお揃いの黒」だから。
結局、「かわいそうね」攻撃は、高学年になってようやく「どっちでもいいじゃん」と言い返すまで続いた。通学路でも、実家の行事でも、会うたびおばあちゃんも近所のおばさんも私を「赤じゃなくてかわいそうな子」にし続けた。
「どっちでもいいじゃんか」と言えるようになっても、心のどこかには引っ掛かりがあったのだと思う。
赤やピンクを使わない私に兄は「俺が呪いをかけたんだ」
中学校を卒業して、しばらくしてから兄ちゃんと遊びに行った時、「ランドセル、ごめんな。俺があやに呪いをかけたんだってずっと言われてた。あや、赤もピンクも着ていいんだよ。持っていいんだよ」と言われたことがある。
なんでも、おばあちゃんに「お前があやちゃんを女の子でなくした」と言われていたのだという。それを聞いたとき、「なんてことを言うんだ、おばあちゃんは」と心底憤慨したのを今でも思い出す。
私はただ、赤やピンクがそこまで好きでないというだけなのに。大好きな兄ちゃんがそんなことを言われていたのだということも、苦しめていたのだということも、悔しくて仕方がなかった。
兄ちゃんは数年前に鬼籍に入ったが、姪(兄の娘)への関わり方をみるに、「女の子でなくした」という言葉は最後まで尾を引いていたのだと思う。
おばあちゃんは「兄ちゃんが私に呪いをかけた」と言ったというけど、実際に兄ちゃんに呪いをかけていたのは他でもない、わたしだ。
心地よくいられる色や形を選んでいるだけ。私はかわいそうじゃない
いまになっても、私は赤やピンクを好んで身につけない。兄ちゃんのことが原因ではなく、そんなに好きでないからだ。ゆるいイラストがかかれたTシャツや、写真を撮るときに使う黒い服だけでいい。
それに、なんだかピンクや赤を身につけることは、「私をかわいそうにした」というおばあちゃんが兄ちゃんにかけた呪いを現実にしてしまう気がしてならない。正直あえてピンクや赤を選びにいく理由も特にないのだ。
身につけるものなんて、自分にとって心地よくいられる色や形であればなんでもいいと思う。わたしは別にピンクを好きこのんで選ばない。かわいそうでもなんでもなく、自分の意志で。それだけでいいんじゃないかなと思う。
兄ちゃん、わたし、黒の服を着ていても幸せだよ。全然かわいそうじゃない。
だから、いつか青の花をお供えに行くね。