彼は、完成したばかりの雑誌をそっと私に手渡した。
ページをめくる。そこには彼が手塩にかけて作り上げた記事が、ところせましと並んでいた。
最初は記事を読みながら普通に感想を言えた。しかし気がついた時には、私は大泣きをしていた。
これが、彼の成功を喜ぶ彼女の涙だったらどんなに良かっただろう……。しかし、私が泣いたのは嬉しかったからではなかった。

私だってやりたかった……。
ずっと心の中で抱えていた彼の仕事への羨ましさと、夢を諦めた自分へのいらだちが、この日彼の前で爆発した。

念願のメディア企業へ就職。1年でうつ病になって退職した

「知られていない世界を多くの人に伝えたい」
私がそんな夢を持ち、メディア企業への就職に興味を持ったのは中学生の時だった。アメリカへのホームステイを通して、現地に行ったからこそ分かる、文化や歴史、人々の思いがあることを知り、それを伝えたいと思ったのがきっかけだった。
夢を抱いてからは実現のために猪突猛進。そうして念願のメディア企業への就職を果たした。

しかし、甘く、幸せな日々は長く続かなかった。
「死ね」「馬鹿」「消えろ」毎日掛けられる暴言の数々。そして管理されない勤怠。入社から1年で私はうつ病になり、休職。そのまま二度と会社に戻ることはできず、退職した。

2度目の就活。仕事を探すと、ついつい同じような職種に目が行った。
夢への憧れは心の中にまだある……。そのことは知っていたが、辛い目に遭うのではないかという恐怖が勝り、メディア企業の受験はあきらめた。
新しい仕事を始めてからも、ニュースを見ると心が疼き、元職場の同期の作品や奮闘する姿を見ると涙が止まらなくなった。
しかし、私はそのたびに自分に「もう無理だから諦めて」と言い聞かせた。そうして徐々に私は自分の思いに蓋をできるようになっていった。

なぜ夢を諦めたのか。彼と出会い、忘れていた気持ちを思い出した

転職した先の新しい仕事は、やりがいのある仕事だった。覚えることもたくさん。やらないといけないこともたくさん。そこでの新しい目標も見つけ、私は徐々に夢を忘れていき、5年の月日が経過していった。
しかし、そんな私の前に彼が現れ、私の状況は変化した。

彼は雑誌編集の仕事をしている。
企画書を書く、情報を集める、アウトラインや絵コンテを書く、いつでも使用できるように素材の写真を撮る。そんな彼の姿は、過去に番組制作のために奮闘していた自分の姿にそっくりだった。

そして彼の姿と自分の姿が重なっていくにつれて、私はかつての自分が抱いていた熱い思いを思い出すようになっていった。そしてニュースを見ると自分ならどう伝えるか考えるようになったし、居ても立っても居られず、ずっと避けていた文章も書くようになった。

エッセイは自分のできる唯一のアウトプット方法だった。だから思いを昇華したいという一心で、私は何本もエッセイを書いた。
しかし、どんなに書いても私の心は満たされることはなかった。
やりたかったのに、どうして……。
なぜ自分はあの時、夢を諦めたの……。
後悔の念と夢への憧れはただただ強まっていくばかりで、私はどうしたら良いのか分からなくなっていった。

後悔しても過去は戻らない。私はもう一度挑戦するつもりだ

「環境を選べば絶対できるよ。自分もそうだった。応援するから、もう一度挑戦してみない?」
大泣きする私に、彼はハンカチを渡しながらそう言った。

彼も転職組だ。前の会社で身体を壊し、一時は編集者自体を辞めようとしたこともあった。しかし勇気を振り絞ってもう一度、同じ職種に就いた。
そして今は新天地で活躍している。そんな彼の言葉には説得力があった。

挑戦してもだめかもしれない……。現場から逃げ出してからの年数のほうがいつの間にか長くなったし、ろくな経験も積まずに終わってしまったから恐らく失敗に終わると思う。
それでも私は挑戦するつもりだ。なぜなら、やり切らずに感じる後悔ほど辛いものはないということを、社会人になってからの6年間で私は学んだからだ。

いつか父に言われたことがある。
「過去と他人は変えられない。自分と未来は変えられる」と。
父とは疎遠になったし、父のことはあまり好きではないが、今もこの言葉は大切にしている。
後悔しても過去は戻ってこない。過去を悔やんでいても何も始まらない。未来を納得できるものにするため、私は今自分ができることを精一杯やる。