今年で27歳になる。この前まで大学に通っていたのに、あっという間だ。
母は24歳の時には初めての子どもを産んでいて、28歳でわたしの弟である3人目を産んだ。
仲の良い友達でも、子どもをもつ人が増えてきた。
本当にすごい。一体どういうことなんだ。

わたしはパートナーと2匹の犬と暮らしている。
犬を連れていると見知らぬ人にすら「ママさん」と言われるので、周りから見たら犬が子どもの代わりのようだ。
確かに、ご飯をあげてトイレの処理をして歯磨きをして、何か異変があれば病院に連れていく。犬はわたしがいないと人間の世界では生きていけないだろう。山でなら生きていけるかもしれないが、暖房なしでは生きていけません、という態度で冬を過ごしているので、やはり無理だろう。

気づけば20代後半。結婚も子どもも望まない自分になっていた

世話は焼けるし結構な頻度でうんざりするが、彼らの幸せと健康を願っている。
子どもに対する感じと似ているのだろうか?
それでも子どもではないよなあ、と思う。
子どもは、成長し自我が芽生えて、相互的な人間関係の中で一人の人間としての形が作られていく。自分の意見を持ち、時にはそれを誰かに知ってもらおうとする。そしていつか自分の生活を自分で成り立たせることができるようになる。
わたしは犬の一生を握っている飼い主であって、親ではない。

ずっと自分の子どもを育ててみたいと思っていた。
きっと素晴らしい人間になるだろうな、とも思っていた。
気づいたら20代後半になっていて、結婚もしたくないし、子どもも産みたくない自分になっていた。
わたしはとても天邪鬼なので、結婚しました、名字が変わりました、子どもができました、の流れに抗いたいのだと思う。
長く一緒にいて、これからも一緒にいる予定なら結婚するのが普通、というのもすごく嫌だ。
みんなにとって普通のことなんて、この世に存在しない。
わたしたち二人の関係を勝手に何かに当てはめないで欲しい。
こんなことばかり言うわたしは、本当に面倒臭い人間だと思う。まあそんなところも好きなんだけど。

何のために子どもを産むのか、納得のいく理由が思いつかない

以前、パートナーに子どもが欲しいか聞いてみたことがある。
「あなたとの子どもなら欲しい、絶対にかわいい子が産まれると思う」みたいなことを言われた。わたしもそう思う。絶対にかわいい。
でも色々考えると、生物学上仕方ないとはいえ、女しか妊娠出産できないのも、その間の苦痛を請け負うのも、あらゆる痛みに耐えなきゃいけないのも嫌だ。歯の治療にも麻酔を使うのに、自然分娩なんて冷静に考えておかしいだろう。
海外の妊娠出産に関わる医療や制度を知れば知るほど、日本で子どもを産み育てることにゾッとする。

それに「子どもが欲しい」ってなんだ?
人間一人を世界に放り出すっていうのに、そんな感じでいいのだろうか。
誰のために?
わたしは何か行動を起こすとき、何のために誰のために、を考えてしまう。
その子が産まれて来る理由は星の数以上にあると思うけど、親は何のために誰のために子どもを産むのか。
「子どものために子どもを産みました」
「日本の少子化を何とかするために産みました」
なんていう人は一人もいないだろう。
自分のため、パートナーのため、親のため。知らないけどそれぞれの理由があって、でも今のわたしには納得のいく理由が思いつかない。

パートナーが言う「養子を迎える」という選択にハッとした

そんなことをパートナーに話したら、「二人で一緒にいられれば良いし、もし子どもが欲しくなったら養子を迎えるのも良いと思う」と言われた。
一緒に過ごしてきて、一番ハッとしたのはこの言葉かもしれない。
納得もした。
守ってくれる大人がいない子どものために、その子の家族になる。
理由や意味ばかり考えてしまうので、誰かのためを思って行動する方がわたしには合っている気がする。
それに心底、血の繋がりなんてどうでも良い。血の繋がりに関係無くお互いを大切にできることを知っている。
結局将来のことは分からないけど、そんな未来もありだなあ、とぼんやりと思っている。