捨てられないものはいろいろあるけれど、この機会に恥ずかしながら、ランキング形式で3つ紹介しようと思う。

第3位、タイトルに惹かれて買ったけれど読みきれなかったビジネス書。
人生に行き詰まった時に限って、その類が目に留まる。そして何かを求めて読み始めるも、たいてい3ページで心が折れる。
何かに成功した人が書いた本を読んでも、内容がハイレベル過ぎて、私には到底真似できない。そして、虚しさだけが心に残る。そうなったら最後、その本を手に取ることすら面倒になって捨てられない。

第2位、学生の頃に衝動買いした、おびただしい数のワンピース。週末の度にショッピングに繰り出しては、洋服売り場の前でよく妄想したものだ。
「かわいい……!!これを着て観劇に行ったら、大好きなあの人と目が合うかもしれない!!」
そう思って買ったはいいけれど、寒がりで足元がスースーするのが苦手な私。実際に出かけるとなると、動きやすいこともあってパンツスタイルに落ち着いてしまう。そんな調子で、
クローゼットの中には、1回も着たことのない花柄たちがずらっと並んでいる。

眺めているだけで、劇場に通うのが楽しみだった頃を思い出す。そんな大切なひとときを手放してしまうような気がして、着ないとわかっていても、いつまで経っても、捨てられない。

赤ちゃんのときからずっとそばにいる、大切な存在

第1位、小さい頃からずっと使っている毛布。
私自身には、いつ出会ったのか、はっきりした記憶がない。子どもの頃の写真を見ると、その毛布にくるまれて母に抱かれた赤ちゃんの私が写っているので、おそらく生まれてすぐ買ってくれたのだと思う。そう考えるともう30年近く一緒にいる計算になる。

綿のふわふわした生地。白と黄色で一面に織られた、大きなテディベアやリボンの模様。眺めているだけで、乙女チックな気分になれる。そして、うっとりとろけそうな手触り。最高の1枚だ。
毎晩眠る時にあまりにも触るので、すぐほつれてボロボロになってしまう。その度に母が繕ってくれて、今では当初のサイズよりだいぶ小さくなってしまった。それもまたかわいらしい。

そして、かわいらしいだけでなく、いつも私を癒してくれる、頼りになる存在だ。
どんなに疲れていても、仕事で腹の立つことがあっても、この子がいてくれたらたちまち眠りに落ちてしまう。不思議と私に安心をくれるのだ。
この子を握りしめて泣いたことも何度もある。ベッドに入ってもその日の失敗が忘れられず、涙が止まらなくてあわてて拭った。そんな時も、そっと受け止めてくれた。
嬉しいことも、悲しいことも、悔しいことも、恥ずかしいことも……。どんなことも隠さずに見せられる、気心の知れた親友とでも言うべきか。

家族からは、「捨てなさい」と言われたこともある。大きくなってまで、小さい頃の持ち物を持ち続けているなんて幼稚だというのがその理由だと思うが、私は、大人になっても、どうしても手放す気になれなかった。
子どもっぽいと言われてしまうかもしれないのは、百も承知だ。しかし、それこそが、私が今も大事に持ち続けている理由なのだ。

誰にでもある、話を聞いてほしい相手。私の場合は小さな毛布

大人になると、仕事では社会人としての、家庭では娘としての、ふさわしい表情、態度でいなければならない。誰に対しても、本音を話せる機会はぐんと減る。当たり前にこなしているようで、実は心のすり減る問題だ。

そんな時に、誰か(や何か)に向かって、
「ねぇねぇ聞いてよ」
と言いたくなった経験は、誰にでもあるはずだ。私の場合は、その相手がたまたま小さな毛布だったのだ。
話しかければ、いつでも素直になれる。安らぎを感じられる。子どもに戻れると言ってもいいかもしれない。だからこそ、簡単に「いらない」なんて、言えないのだ。

まだまだ、一緒にいたい。甘えていたい。そう思うと心がきゅっとなる。この気持ちは何だろう。言葉にできないけれど、いとおしくて、胸がいっぱいになる。
今日もまた、一緒に眠ろう。それだけで、幸せ。