なぜ洋服ってこんなにも捨てづらいのだろう、といつも思う。
物心ついてから今に至るまで、クローゼットがパンパンじゃなかった日はないほど、私は洋服の整理が苦手だ。もう着ることはない洋服も、捨てられずにいる。

特に、実家にいたころ母に買ってもらった洋服たちは、社会人になって結婚した今も、常に引っ越しの荷物の中にいれて保管し続けている。
毛玉だらけになってしまったニット、洗いすぎてサイズが小さくなってしまったカットソーなど、それらを買ってくれたときの母の気持ちを思うとなんだか申し訳なくて捨てられないのだ。

選んでくれた母の顔が浮かぶ、成人式用のワンピース

成人式を迎える際に同窓会用に買ってもらったドレスワンピースもその一つだ。
ノースリーブでピンクのワンピースは、よくみると光沢の中に花柄が入っていて上品なデザインだが、ワンピースの丈が膝上なので、アラサーになった今の私が着るには短すぎる。
ワンピースと一緒に、さりげなくフリルがついたボレロもあわせて買ってもらったのだが、こちらもフリルがついているなどかわいらしいデザインなので、もう着るのは難しい。

処分しなければと思い立って捨てることを考えるたびに、百貨店の試着室の前で何度も、「似合う、かわいい!」と言ってくれた母の笑顔が思い浮かんで、捨てるに捨てられない。

捨てられないなら、フリーマーケットアプリで売って、また誰かに着てもらえたらいいなとも考えたが、やはりいざ手放すことを考えると思い出が遠くなってしまうようで寂しくなってしまう。

洋服を選ぶのが苦手だった私に、いつも付き合ってくれた母

子どもの頃の私は、あまりにも洋服に興味がなく、まわりの女の子友だちからトレンドなどの情報を得ることもなかったので、悲しいくらいに洋服を選ぶセンスがなかった。

中学生になって、毎日制服で顔を合わせている友だちと休日私服で遊ぶ機会が徐々に増えていくと、私は毎週憂鬱な気持ちになった。友だちと遊ぶこと自体は楽しみなのに、せっかく仲良くなった子にダサいと思われないだろうか、怖くて仕方なかった。

それでも、友だちとの約束に何を着ていったらいいかわからなくて、毎回母に泣きついていた。母も、年頃の女の子の間で流行っているファッションなど、もちろん知らなかったが、母なりに「こんなのはどう?」と選んでくれたり、私が洋服を買いに行くときに必ず付き合ってくれたりした。また、私が買い物に行かずに、母が洋服を買ってきてくれたこともあった。

母が買ってくれた服は、娘にいつか「着てみない?」と差し出したい

とはいっても、私のクローゼットにも限界がある。社会人になって自分で選んで買った服たちは、少しずつフリーマーケットアプリで売ったり、捨てたりできるようになってきた。母が買ってくれた服たちは、相変わらず捨てられない。私はもう潔く諦めることにした。

今年の夏に生まれる予定の娘が大きくなったら、「よかったら着てみない?」と無邪気に差し出してみようと思っている。いつしか私の母が、試着室の前でそうしてくれたように。