お墓参りの時に手を合わせる、水子供養の仏像の前で
お盆の時期になると、実家では必ずお墓参りをしていた。
田舎だったからか、盆の入りにはお飾りをつくって仏壇を整え、提灯をもってお墓まで魂を迎えに行く。盆の明けには茄子や胡瓜で動物をつくり、魂をまた提灯に宿してお墓に連れて行く。それらが物心ついた頃からの習慣だった。
自分の家のご先祖さまにお線香をあげ、さあ帰ろうというとき、祖母は毎回入り口付近にある大きな仏像にお賽銭を入れ手を合わせる。私はそのお賽銭をちゃりん、と入れるのをやらせてもらいたくて、いつも一緒に手を合わせていた。
それは水子供養。この世に生まれないまま、お腹の中でなくなってしまった命のためにある仏様だと教えてもらったのは、小学校に入る頃だろうか。
水子供養の仏様の前で、祖母が「おばあちゃんにはね、水子がいるのよ。あなたのお父さんと、その下のおじさんの間にね」と静かな声で話をしてくれた。
私は驚いたけれど、あまり大きく反応するのも良くない気がして「そうなんだね」としか言えなかった。
産みたくても産めなかった命。出産を機にその痛みを知った
私の分別がつくようになったころ、その生まれなかった命について教えてくれたのは母だった。
私の父を産んでまもなく次の子どもを宿した祖母だったが、姑(私から見た曽祖母)から「年子なんてみっともない」と大反対され堕すしかなかったのだそうだ。
その時、祖父がどう反応したかとか、祖母の抵抗など詳しいことはわからない。だが明治生まれの曽祖母が言うことに従うしかなかったのは、祖母にとってどんなに悲しいことだったろうか。そんな時代、と言ってしまえばそれまでだが、母親のつらさはどの時代でもきっと変わらない。
祖母のその痛みを改めて思うきっかけになったのは、私自身の出産だ。今年の初めに生まれた娘は、少し泣き声が元気すぎるものの順調に成長している。
自分のお腹に彼女がいるとわかった時から、私は喜びもそこそこに責任感と不安でいっぱいになった。食べるもの、行動、心のストレス。お腹の赤ちゃんに影響するものがなんなのか、かなりリサーチ魔になっていた。
とにかく無事に元気に生まれて欲しかった。まだお腹の中で、顔は見えなくても動きも感じられなくても大事に大事にしたい。そんな思いをきっと祖母も感じていたのだろう。
受け継がれる思いと営み。祖母にひ孫を抱いてもらえる日を楽しみに
妊娠、出産、そして子育てはつくづく神秘的だ。とてもとても個人的な体験なのに、世の中の母親はほぼ同じことを経験しており、共感する部分も多くある。
大きくなるお腹に不便を感じるところから、陣痛や出産の痛み、生まれたら昼夜問わずの授乳、おむつ替え。米粒より小さな爪を切ったり、子どもが泣いて寝ない時は1時間以上も抱っこをしたり。
ふと授乳をしているときに、今この瞬間、世界中でどのくらいの母親が同じことをしているのかとぼーっと考えたことがあった。もっと言えば、何十年どころか何千年、何万年も人間の「母」というものは同じことを繰り返してきたのだ。そう思うと、なんとも不思議な気持ちになる。
そして、子どもを望む母たちは自分の身体にもうひとつの命が宿ったときから、その子が無事に生まれることを、生まれてきたらすくすくと育つことを切に願う。妊娠出産を経て、ようやくそれらの気持ちを自分のものにできたと感じる。
次のお盆には、祖母のいる実家に帰りたいと思っている。感染症の蔓延で会えない日々も、ずっと私とお腹の赤ちゃんを気にかけていた祖母。
無事誕生したことを誰よりも喜んでくれたから、直接会ってひ孫を抱かせてあげたい。