子どもを持たないと決めていた私は今、2人の子どもの母親だ
私には子どもが2人いる。
でも、私は子どもが苦手だ。子どもが学校へ通うほど大きくなった今でも、子どもが得意と感じたことは1度もない。
子どもが苦手な理由はたくさんある。
まず、そもそも人付き合いが苦手だから、相手が大人でも赤ちゃんでも人と関わるのが得意ではない。
次に、子どもの純粋さだ。彼らは社会に触れていないため、その純粋さは人間のあるべき姿を表している。そのキラキラした目で私の荒んだ目を見ないでくれと恐ろしいのだ。
他にも、1人の時間が大事な私は、子どもを持つと自分の時間が失われると分かりきっている未来が恐ろしい。
そもそも私の人生で赤ちゃんと触れ合う機会がなかった。ひとりっ子だし、親戚の子ども達も、私と変わらない年齢の子ばかりだった。小さい子を面倒見る経験が皆無なのだ。
たくさんの理由で、私は昔から子どもを持たない人生にすると決めていた。
だが、夫は子どもがほしい側の考えだった。
私は子どもを持たない人生の利点を説明したが、夫は「自分ひとりで育てるわけじゃないでしょ」と言った。
妊娠しても、妊娠を喜びの一種と捉えることはできなかった。もちろん楽しみで、子育てができるのは嬉しいが、産婦人科では妊娠を待ち望んでいる人、待望の妊娠にお腹を微笑みながら撫でている人を見ると、なんとなく私は彼女らの幸せ値とズレている気がした。それを誰かに共有することはなかった。
「親初心者」からスタートする。少しずつ子どもを知っていけばいい
その後、出産しても抱いた我が子を小さな宇宙人のように感じた。
夫は夜中じゅうミルクをあげて、オムツを替えて、抱っこで寝かせた。
少し大きくなった我が子を着替えさせて、ご飯を食べさせ、公園に連れて行き、お風呂に入れて、絵本を読み寝かせる。
時々、私は母親として正しいのかと感じる。子ども達にとって良い親なのかと。
子どもは自然と大きくなる。そんな葛藤の中、私は夫に「なぜ私が子どもが苦手と分かっていながら、子どもがいる人生を選んだの」と聞くと、
「接客業に向いてる人と向いてない人がいるように、親になるのが向いてる人と向いていない人がいるだけの話だ。君は向いていないと思っているだけだ」
と言った。
私は街中や公園、学校内で見かけるたくさんの母親達の姿を見て、彼女らは「向いている」と感じていた。そして私は「向いていない」それが悪いことに思っていた。
だが、悪いことではない。そして夫は「向いていないと自覚して、自分にできる料理や掃除、絵本を読むとかをしているだけでも十分なんじゃないの」と言った。
私は、親は全員はじめから親ではないんだ。親初心者の状態から始まるんだと気づいた。
むしろ、自分が子どもであった時期が長いから、「どうすれば良い親になれるか」よりも、自分の子ども時代に戻って「何をされたら嬉しかったか、嫌だったか」を考えた方がいいのだろう。
今も子どもを得意だと感じた事はない。自分と全く性格の異なる人間が、私がされて嬉しかったことをされて、同じように喜ぶとは限らないからだ。それは人間関係全てに言えるだろう。
だが、子ども達と知り合ってから、段々と何が好きで嫌いか見えてくる。それで良いと思っている。
私は出産してよかった。子どもたちは私を笑わせて、怒らせ、癒し、ワクワクさせる。自分1人では満たすことのない感情を起こさせる。
人生を豊かにするのだ。