修学旅行の夜は、消灯時間を守ったためしがない。同じ部屋の友達と、とりわけ恋愛の話に花を咲かせていた。中学の修学旅行の夜、1番仲のよい友達と好きな人の話で盛り上がった。
その友達とは10年来の付き合いになり、今でも2人で旅行に行く仲だ。大人になってから同じように深夜に恋愛の話をして、救われたことがあった。

写真なんて見なければよかった。元彼への思いを引きずる夜

大学2年生の私は、半年前に別れてしまった元彼のことを忘れられずにいた。別れてからも共通のコミュニティで交流するのでたまに連絡を取っていたし、それが物理的に会えない距離になっても続いていた。

その彼に誕生日祝いのメッセージを送った時に、ふと懐かしくなって、写真フォルダを見返した。
前の年の、彼の誕生日デートの写真。私がサプライズでお店に頼んでおいたメッセージ入りのデザートや初めて2人で撮ったプリクラ。
たった数枚の写真だったが、幸せだったその時期のことを強烈に思い出させられた。同時に、まだ持っていた相手への思いがあふれ出してしまって、愛しさと苦しさに苛まれて泣いた。

結局その日は、眠れないまま明け方を迎えてしまった。泣きはらした目の下にはクマがくっきりで、未だにここまで引きずってしまう自分に呆れかえった。写真なんて見なければよかった、余計なことをしてしまったなと思った。

それから1年も経った頃には、相手からの告白で別の人と付き合うことになったけれど、元彼にはまだ特別な思いを抱いていた。物理的に会えない時期が終わって、また関わる機会もそれなりにあって、一緒にいて楽しかったから。
でもそれより何より、付き合っている時から寂しい思いをすることが多かったり、別れてからも引きずったりで、私は幾夜もひとりで泣いた。
それほどまでに思いを寄せた相手に対して無関心になることは、どうしてもできなかった。

私の思いは、彼への未練ではなく「恨み」だという彼女の答え

そんな思いを昇華させてくれたのは、冒頭の友達との旅行の夜だった。
相手は付き合いが長く、お互いの過去も全て知っているということに加え、大学院で心理学を勉強していた。だから、軽い気持ちで話をしてみた。
彼女は、私が思ってもいなかった答えを返してくれた。

私が抱いているそれは、おそらく恋愛感情でも未練でもなくて、幸せにしてくれなかったことへの恨みのような気持ちだと。だから、「未だに好きな気持ちをひきずっている」んじゃなくて、「自分がしたのと同じ苦しみを相手も味わわないと気が済まない」という復讐心のようなものだと思う、と。

途端、そんな気持ちに固執しているのが、とてつもなく無駄に思えてきた。
失恋をひきずることも決して良いものではないけど、好きな気持ちという強いプラスの要素があったから、惰性で持ち続けていたのだろう。
それが恨み、執着、復讐心のような、マイナス要素しかない気持ちを抱いていたのだと気づいた。

思いを昇華させてくれた夜を胸に、勇気を出して決心した

友達は「そんな物騒な言葉で表現していいのかわからないけど」と言っていたが、確かに私は彼に対して「なんであれ仲良くしていたい」ではなく、「私を振ったことを一生後悔すればいいのに」と思うようになっていた。
恋心を捨てられないまま拗らせていたのだろうか、可愛さ余って憎さ百倍というやつだろうか。
目から鱗だったが、すごく納得した。

その夜は相手の話も聞いて、眠ってしまうには惜しいくらいの濃い話をした。さすがに明るくなる前に少しは寝ようと、半ば強制終了した。

帰宅してから、私は彼を思い出すきっかけになりそうなものをできるだけ排除した。
見返してしまいそうなトーク履歴。活動休止してしまった、共通の好きなアーティストの曲。特にトーク履歴の削除には、何度もそうしようと思ってはやめたくらいには勇気が必要だったけれど、あの夜の話を思い出すと決心がついた。

この恋で幾夜も泣いたけれど、昇華させてくれたのも夜だった。