決めたことはやり通さないと無駄になる。そう思い込んでいた
新卒で社会人になる時、私は将来の方向性をいくつか定め、決断した。
自分が決めた業界で生きていく。
自分が決めた場所で生きていく。
そうして、経験も、スキルも、将来のために得ていくんだ。
決めたように生きられるように、その枠から外れないで済むように、大学ではそれなりに努力してきたし、保障がされない道でも自分の身をそこに投じてきた。
臆するのは弱い人間がすることだと、憧れている人に今度胸を張って会えるような人間にならなければいけないのだと言い聞かせながら。
「とりあえずやってみる」の精神は勿論大事だと思う。けれど、私は決めたことをやり通さなければ幸せになれず、これまでの全てが無駄になると思い込んでいた節があった。
間違いに気づいたきっかけは、昨年職場の上司に言われた「なんだか楽しくなさそうだね」という一言だった。
おはようございます、といつものように自分としては明るく声を出して挨拶をしながら職場に入った時に言われたものだった。
あの日は特に身だしなみも気をつけて、お気に入りの服を着て、出勤前も笑顔の練習をして、メイクもちゃんとして、挨拶もちゃんと声を出せていたつもりだったのに。恥ずかしくて胸がちぎれそうだった。
今思えばただの冗談のつもりだった気がするが、何かを見破られたと感じて過剰に気にしてしまった。
そう感じてしまうということは、本当は今の仕事が楽しくないと思っているということになる。
それもそうだ。朝に笑顔の練習をしている時点で、絶対に普通ではなかった。
本当はずっとそんな事を言われる前から、私はちぎれそうだった。
心が壊れないように自分を騙して踏ん張っていたが、限界だった
何年か前にした決断に、ずっと縛られてきた。
自分が決めた業界で生きていく。
自分が決めた場所で生きていく。
コロナの影響により新卒で貰った内定が取り消しにされたことも相まって、余計何にも振り回されず自分が決めたことをやり通すことに躍起になっていた。既に決めていた予定が、自分にはどうすることも出来ない大きなものに押し流されて悲しい思いをするのは、もう沢山だった。
何か、何か少しでも、自分が決めた事を叶えなければ。予定を変えればなんだか負けたことになる気がして、既に今関わっている仕事への興味関心が薄れつつある気持ちに蓋をして、自分を騙して踏ん張っていた。
そうしなければ、なんだか心が壊れそうだったから。
それでも、きっともう限界だった。上司の一言が冗談だったとしても、私がどれだけ理屈を並べても、私のそうした義務感で仕事をしている痛々しい姿は、きっと自分が思うよりも周りに見破られて、周りに不快感を募らせていくのだろう。
友人は、たとえ後ろ向きな理由であったとしても、自分がそうしたいと思うのなら周りなんか気にせずやればいいと慰めてくれたが、周りに迷惑をかけて仕事をするのはエゴになってしまう。だから、周りのためにも、壊れそうな自分の為にも、自分が心から楽しいと思えることを仕事にしていかなければならない。そう、強く思った。
試行錯誤は無為ではない。でも、柔軟なことは「逃げ」ではない
今の仕事が、本当に楽しいと思えるものに変わっていったのなら良かったが、元々義務や罰のように選んだ仕事にそんな感情を今更覚えられるような辻褄合わせは都合が良すぎたのか、時間をしばらく置いても自分の中にそんな気持ちは生まれず、私は転職をした。
たとえ綺麗な動機ではなくても、一先ず何か指針を決めて何かのために動き出さなければ自分の本当の気持ちにも気づけなかっただろうから、これまでの試行錯誤の数年間は全く無為ではなかったと断言出来る。
けれど、ひとたび自分が決めたゴールや幸せの形に自分の気持ちがはまらなければ、その元々の決断にしがみつかずに、柔軟に生きていけばいい。柔軟なことは決して逃げて弱いことではないはずと信じて。
とりあえず最近の気づきとしては、自分が辛そうだと周りに居る人にも辛さが移り、自分が楽しそうにしていると周りも楽しくなってくれるようだから、私はまず精一杯自分を楽しませることにしてみた。
これが今の自分のゆるい決断である。